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過去の院長メッセージ集 NO-5

NO-6 NO-5 NO-4 NO-3 NO-2 NO-1 (左が新しいメッセージです)

2016月4月1日

4月(卯月)となりました。桜の花もはやばやと開花し、南関東満開となりました。入学式まで楽しめるか微妙ですね。やはり、随分地球の温暖化がすすんでしまっているようです。先月にも述べましたが、4月はいろいろな出会いの時期にあたります。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校や大学、そして会社でもさまざまな出会いがありますね。

さて、先日ニュースで文豪、夏目漱石の小説の原稿が発見され話題となっていました。夏目漱石は1867年2月9日の生まれ、つまり江戸時代の末期慶応3年に現在の東京の新宿の牛込で生まれています。家はとても裕福で祖父は大きな名主さんだったようです。夏目漱石の本名は夏目金之助といいます。

東京帝国大学(現東京大学)時代に俳人正岡子規と出会い、俳句を子規から学びました。大学の英文科を卒業後、四国の松山で愛媛県尋常中学校の教師となり、ついで九州、熊本で旧制第五高等学校で教授を務めました。その後、イギリスへ留学し、帰国後、東京帝国大学の講師として英文学を講義しながら「吾輩は猫である」を雑誌「ホトトギス」に発表したところ、これが大評判となりつづいて「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書きます。その後、朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載していきます。

当初は余裕派と呼ばれました。有名な「修善寺の大患」の後は「行人」「こころ」「硝子戸の中」などを執筆しています。修善寺で胃潰瘍のため、静養していました。生死の境を何回もさまよったことで「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれています。晩年も持病の胃潰瘍に悩まされ、くわえて糖尿病や痔にも悩まされ、胃から大出血をし、「明暗」を書筆中に他界をしました。「明暗」が漱石の絶筆となったのです。

私は高校の頃、漱石の小説にとりつかれ、大学時代「硝子戸の中」を読んで深く心をうたれたことを、今でも記憶しています。私の親戚が松山と新居浜にいたので、よく学生時代には四国へ足を運び松山の子規記念堂に2回行ったことがあります。

大学時代の親友である正岡子規に夏目漱石は強い影響をうけています。天才の俳人、正岡子規の最後を見とったなかに漱石もいました。その子規記念堂は内容が極めて充実していて、又、案内してくれる学芸員の資質の高さにはおどろかされます。子規記念館の出入り口に、俳句の投函箱が置いてあり、優秀作に選ばれると賞品が当たるのですが、私の句は見事に落選してしまいました。ちなみに漱石の俳号は「愚陀仏」と言います。不肖私の俳号は「狼星」です。

とにかく歳を重ねてくると、大学時代、いわゆる青春時代のすばらしさを何回も何回も思い出します。私の青春時代はとても充実していて、友人にも恵まれたと感謝しております。4月に入り新しい友人ができ、そのことが、人生の生涯の友となりますことを、若い人々に期待して4月の院長挨拶とします。

平成28年4月1日 院長 坂本貴史


2016月3月1日

3月(弥生)となりました。さて、5年前の3月11日は、我々日本人、いや世界の人々にとって忘れられない悲劇が起きた日です。東日本大震災が起きてから、早、5年が経過しました。

東日本、特に東北を中心に未曾有の地震と津波、そして家屋の崩壊、それに伴う火災が起こり、19,000人余りの人々が尊い命を落としました。

また福島県にある東京電力福島第一原子力発電所の崩壊により、多量の放射能で多くの地域が汚染され、未だ17万人以上の方々が自宅へ帰れず、又、先祖から受け次いでいる土地や田畑、森林を失いました。何とむごいことでしょうか。

私は5年前の2011年3月11日の午後2時46分を一生忘れることはないでしょう。午後の診療を始めた途端、診療室はぐらぐら大きく揺れ、それが長く続き、又、2回目もありました。それも長く強く揺れました。

すぐ、テレビをつけると信じられない光景を見て、体が震えるのがよく分かりました。それは、悪夢のようでした。次々に被害が報告され、東日本一帯の多くが崩壊し、福島の人々は原子力発電所から発生する放射能に脅えていました。

それから5年が経過しましたが、まだ、復旧、復興も始まったばかりで、多くの被害者の方々は未だに仮設住宅に住んでいらっしゃいます。政府ももっと支援を地元の人々の声に真摯に耳を傾け努力しなければいけません。

大震災の被害は続き、被災者の傷ついた心は癒えることはありません。何とか現状に近い形に復興するのを願うばかりです。あらためて尊い命を亡くされた方々に哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様方にお見舞い申し上げます。

さて、3月は私の生まれた誕生日月です。私は3月18日生まれの魚座、血液型、A型です。私は一年中でやはりこの早春を迎える3月が一番好きな月です。4月は出会いの月ですが3月は別れの月でもあります。

こじつけるわけではありませんが3月11日に東日本大震災が発生したのを思う時、やはり尊い命、尊い家族、そして諸々の自然と別れることになったのかと思ってしまいます。

でも、卒園式、卒業式、退職式と次の人生へ出発する門出の月でもあります。少しでも生きる希望を持ち元気で元の生活に被災者の方々が戻られるのを全国民で支援を続けなければなりません。

さて、私は3月に入り沈丁花の香りがし、奈良東大寺の二月堂のお水取りが過ぎると、「ああ今年も春が来たんだな!!!」と毎年感じます。3月と言っても時より北風が吹くと身が引き締まる寒さを感じることがあります。

その北風を俳句の季語では「春北風」(はるならい)と言うんだそうです。それを表している、私の大好きな唄があります。それは「早春賦」という歌です。歌詞は「春は名のみの風の寒さや〜」と続きます。

皆様も多くの方がよく知っていられると思います。「早春賦」という歌の概要をお話しますと、「尋常小学唱歌」の作詞委員会の代表をしていた、吉丸一昌氏が、自作の75編の詞を新進作曲家による曲をつけ「新作唱歌」全10集として発表した中の一作で第3集に収録されているそうです。

長野県大町市安曇野あたりの早春の情景をうたった唄とされています。大町中学校の校歌を依頼されて、安曇野をおとずれた時、吉丸氏が、大町、安曇野の寒さ、そして春の穏やかさを歌った歌詞ということです。

私も良くこの唄を音痴ですけど歌いました。谷の鶯(うぐいす)はもう声を立て歌っているでしょうか!でもまだ時にあらずと声も立てずにいると思います。しかし今年は暖冬だったのでどうでしょうか?もう鶯の「ほーほけきょ」を聞いた方がおられるかも知れませんね。

読者の皆様もぜひこの名曲を一度歌ってみてください。ではまた出会いの月である4月にお会いしましょう。

平成28年3月1日 院長 坂本貴史


2016月2月1日

2月(如月)となりました。早いもので、今年も一ヶ月が過ぎました。2月といえば節分やバレンタインデー等がありますね。

節分に豆まきは、我が家では必ず行っていました。しかし、我が家では、いや、私の友人の家族が恵方巻きを食べていたという記憶はありません。多くの家では、節分の豆まきだけだったと思います。いつから関東も恵方巻きを食べるようになったのでしょうか?

ところで、2月14日はバレンタインデーですね。私の若い時は衛生士さんから必ずチョコレートをプレゼントされました。患者さん達も義理チョコを私にくれたのです。そして3月14日のホワイトデーを考えると少し頭が痛くなります。

今年は何がいいんだろうか?これは昨年あげたし、あれやこれやと考え、プレゼントを決めるのですが大変です。化粧品ポーチがいいか、ハンドクリームがいいか、クッキーの詰め合わせがいいか、とにかく毎年頭の痛い日々が少しの間続きます。

バレンタインデーが日本に伝わったのはいつでしょうか。外国の文化を取り入れ自分達の文化と融合させることが日本人は得意です。今年もまた、私の頭を悩ませるバレンタインデーが近づいてきました。

読者の皆様はどなたからチョコレートをプレゼントされるのでしょうか?楽しみですね。

では、3月にまたお会いするまでお元気でお過ごし下さい。

平成28年2月1日 院長 坂本貴史


2016月1月1日

あけましておめでとうございます。平成28年、2016年を皆様穏やかに迎えられたことと存じます。昨年は自然災害や、世界の人々を恐慌の底に落とし入れたテロが横行しました。

毎年恒例の清水寺の貫主は「安」という字を書きました。私には、これは清水寺の貫主の切なる願いがこめられている気がしております。5月頃より論議が始まった憲法違反の疑いの強い安保法制が与党の横暴で強行可決されてしまいました。

戦後70年、はじめて、日本は「戦争をしない国」から「いつもで戦争ができる国」となってしまったのです。もちろん安保法制には賛否はあるでしょうが、法案自体が平和憲法に違反している可能性が極めて高いのです。我々が戦後大切にしてきた立憲主義、主権在民があやうくなっています。

どうかこの一年が日本をはじめ世界の人々が何とか穏やかにすごせることを心より祈るしかありません。今、我々は親への忠義、上司や先輩達への忠義がなくなってきています。

そこで、若い人はあまり知らないかもしれませんが、「赤穂浪士」の話を少ししてみたいと思います。赤穂浪士の討ち入りとは元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜に旧主君、浅野長矩のかたきである吉良上野介義央の屋敷に討ち入り吉良義史及び家人を殺害した大事件です。

なぜ、日本人はこの「赤穂浪士討ち入りの物語」を好きかと言うと日本人の心に本来持っている忠義の精神に敬意を払い、あこがれるからだと思います。

頃は元禄14年3月14日(1701年4月21日)の江戸城松え大廊下で浅野匠頭長矩が吉良上野介義央に対して刃傷におよんだのです。殿中で刀傷を起こしたことに将軍徳川綱吉は激怒し、浅野長矩は即日切腹となり、赤穂藩浅野家は断絶と決まりました。

それに対し、吉良義央には何のとがめもなかったことに対し、当日の城の中にさえこの処分に批判の空気が存在していました。赤穂藩国家老大石内蔵助以下、赤穂藩士の多くは喧嘩両成敗の武家の定法に反するこの幕府の裁定をあまりにも一方的なものであると強い不満を持ったのでした。

そして事件の一年9ヶ月後の元禄15年12月14日(1703年1月30日)に藩主浅野長矩の仇を打つため47名の赤穂浪士が命をなげうって宿敵吉良上野介義央の首をとったのでした。

この忠義の精神は江戸中、いや日本中で拍手喝采をうけ、赤穂浪士が本当の武士道の持ち主達ということになったのです。このように江戸時代には主君の為に命までなげうつという忠義の精神がありました。

もちろん仇討ちが良いなどとは思いませんが、別の意味で一昔前までは忠義や義理人情が人々に必ずあったように思います。とくに日本人の心の中にあったはずです。

ぜひ新年を迎えた2016年は、日本人にも世界の人々にも昔の人情をとりもどしてほしいと祈るばかりです。現代では殺し合いなど絶対にあってはなりません。テロや戦争は誰にも幸福なぞになるわけがありません。深い悲しみと憎悪、にくしみを与えるだけです。

世界中の人々が平和に穏やかに過ごせることを重ねて願っています。これをもって新年のご挨拶と致します。

平成28年1月1日 院長 坂本貴史


2015年12月1日

12月(師走)を迎えました、ついに2015年も終わりの月となりました。12月は師走ということは読者の皆様はご承知のことと思いますので、語源は省略することにします。

さて、日本の四季のうち、小倉百人一首(藤原定家が撰者)で一番歌われているのはどの季節でしょうか?皆様は春と思われますか?それとも秋と思われますか?まず夏や冬と思われる方はいらっしゃらないと思います。

これはなかなか難しい問題ですね。実は春ではなく、秋が一番歌われています。春は桜、秋はもみじということになります。日本人は太古より日本の自然を自分の身上等に写して、歌に歌うことをしてきました。

古今集や新古今集など多くの勅撰和歌集で秋歌が選べれています。私は古都である京都が大好きです。高校の時、修学旅行でかなり通な寺巡りを企画してくれました。

京都で訪れた寺に浄瑠璃寺や随心院、南禅寺の金地院、そして大徳寺の大仙院など普通修学旅行で訪れない寺々を拝観することが出来ました。これは、古文や現代国語の先生達に御礼をしなくてはなりません。

古文の担当で草山先生という方がいて、独特の授業をしてくれました。この事が後に京都が大好きになった一つのきっかけとなりました。四季の中でやはり京都を訪れるなら秋が一番だと思います。

でも昨今、京都の秋は恐ろしい程混雑しています。そういうことで私の足もいつしか京都の秋から遠のいてしましました。その理由だけではないのですが、私は若葉の綺麗な5月や6月に京都へ行きます。秋にもみじの美しい寺を若葉の季節に訪れると、とても美しい空間を体験できるのです。

話がだいぶずれてしまいましたが、古来より貴族達は京都の秋を愛し、歌にしていました。日本人は秋のもみじの美しさとはかなさを愛したのです。今年の京都の秋は観光客でごった返していることでしょう。静かな秋の京都はもう無理なのでしょうね。

さてもう12月(師走)です。今年は清水寺の貫主は、何と漢字一字を書くのでしょうか。どうか「幸」という字を一度は書ける世の中にしたいものですね。

ここで先述した小倉百人一首のご説明をしてみましょう。

百人一首とは

「百人一首」と呼ばれるものは、一般に「小倉百人一首」として知られていますが、これは今から約730年もの昔、鎌倉時代の歌人である藤原定家がまとめたもので、百人一首の歴史はかなり古いものです。
 
天智天皇から順徳天皇までの約550年の間に、貴族や歌人たちの間で詠まれた和歌から、各人の優れた和歌や代表的な和歌一首を取り上げ、年代を追って、全部で百人の和歌を取り上げたものです。

「小倉百人一首」と呼ばれるのは、藤原定家が京都嵯峨の小倉山の別荘で屏風(襖)に書き写したことから、このように呼ばれていますが、小倉百人一首はすべて「古今集」 ・「新古今集」など、十の勅撰和歌集から集められています。

古今集 … 24首
後撰集 … 7首
拾遺集 … 11首
後拾遺集 … 14首
金葉集 … 5首
詩花集 … 5首
千載集 … 14首
新古今集 … 14首
新勅撰集 … 4首
続後勅撰集 … 2首

※2番の歌(持統天皇)と4番の歌(山部赤人)は、藤原定家が「新古今集」から選んでいますが、原歌は「万葉集」にあります

百首の中には恋の和歌が四十三首もあり、季節の歌では秋の和歌が一番多く選ばれています。
また、女流歌人は二十一人、僧侶も十五人が選出されています。

百人一首の歴史

百人一首の歴史は「かるた」から始まると言われていますが、カルタの始まりは平安時代に遊ばれていた「貝合わせ」というものだと言われています。

「貝合わせ」とは、二枚貝をふたつに分けて片方をさがすといった単純な遊びですが、やがて宮廷の人々のあいだでは、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになります。

これは「歌合せ」といって、いろいろな貝にそえて和歌を詠み、その和歌を競い合うというものでした。

やがて、それと似た絵合わせをする「貝おおい」という遊びが進歩して、「歌貝」というものに発展します。

「歌貝」では、貝の形をした札が上の句、下の句ともに100枚あって、現在の「かるた取り」と同じように、下の句の札を並べて、上の句を詠んで下の句を取るというものです。

この遊び方は、百人一首の歴史からするとかなり現在の遊び方に近いものではないでしょうか。

歴史が下って戦国時代の頃になると、、百人一首が「かるた」として遊び始められますが、はじめは宮中とか諸大名の大奥等で行われ、それが年間行事となったようです。

「かるた」は、まだまだ庶民の間では馴染みの薄いものでしたが、江戸時代に入り、木版画の技術の発展や、南蛮渡来の「かるた」を取り入れることによって、庶民の中に徐々に広まっていきます。

やがて、「民用小倉百人一首」などが出版され、元禄時代の頃から一般庶民の間にも広がり、和歌かるたと言えば「小倉百人一首」のことを指すようになり、庶民にも馴染みあるものになりました。

このように百人一首の歴史は古いのですが、「小倉百人一首」が正月の楽しみとして各家庭でも行われるようになったのは、ずっと後の安政の頃からだと言われています。

しかし、現在では、正月以外でも簡単に遊べる室内遊戯として親しまれてるほか、日本の古典や歴史の風情を学ぶうえでも馴染みやすく、身近な資料となっています。

また、最近では「小倉百人一首」を応用した、「五色百人一首」というものも現れ、小・中学生の間で楽しまれていますし、「坊主めくり」などは誰もが簡単に遊べるので、百人一首のファンも多いようです。

一種の貴族のカルタ遊びにもこのような興味深い歴史があるのですね。では又新年にお会いしましょう。

平成27年12月1日 院長 坂本貴史


2015年11月1日

11月(霜月)となりました。もう二ヶ月でお正月を迎えます。昔は数えで歳を数えていたので、生まれた時が1才で正月を迎えるごとに歳をとることになっていました。それゆえこんな句があります。「正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり、めでたくもなし」というものです。これはなかなかの名句と思いいつも正月を迎えるとこの句を思い出します。

さて、11月を霜月という語源の由来は後にして、また、テレビで林修先生が紹介していたプロ野球の審判員について話したいと思います。先月は大相撲の行司さんの話だったので、今月はプロ野球の名審判の話題です。

その人の名は二出川延明と言います。パシフィックリーグの審判部長を退職するまで勤めていました。彼の有名な審判員時代のエピソードをご紹介致します。二出川延明という人は巨人軍のすごいプロ野球選手であったようです。

この話をしだすと長くなりますので、彼の野球選手のことは後にして、昭和34年(1959年)7月19日の西鉄(現西武)と大毎(現ロッテ)の試合で大毎の醍醐猛夫選手の送りバンドが、投手の前に転がりました。

西鉄の稲尾和久投手が素早くマウンドから駆け降り、素手でつかんで二塁へ投げました。微妙なタイミングであった。中根二塁塁審の両腕は横に広がった「セーフ!」の判定。納得のいかない豊田遊撃手が二塁塁審に猛烈に抗議をし、思わずクラブを宙に放り投げました。

1−0とわずか1点リードの大毎8回裏。追加点が欲しいオリオンズ、無死一、二塁か一死一塁になるかは大きな差でした。当然、西鉄の三原監督は抗議に出た。中根塁審(2塁塁審)とやり取りすること8分。埒があかないと判断した三原監督はバックネット裏の審判控室に向かった。

審判の権威を確立してきた25年のキャリアを誇る二出川延明にルールを確かめるためだった。三原監督は「二塁の塁審は同時はセーフというが、ルールブックを見せてくれ」二出川は「なぜだ」と答えた。三原は「ルールブックには、一塁の場合と違って二塁の場合は同時アウトだ。何分かかってもいいからルールブックを見せてくれ」と迫る。

二出川は「ルールブックにはそうなってない。あくまで同時はセーフだ」三原監督は「ルールブックあるんでしょ?見せて下さいよ。3分かかっても、5分かかっても」二出川審判は「見る必要はない。僕の頭の中にちゃんとある」食い下がる三原は「ルールブックを見せて!!」と叫ぶ。しかし、二出川審判は三原の言葉を遮り「オレがルールブックだ!!間違いない!」と言い放ったのだ。

右手で胸を叩いて三原監督を睨んだ二出川であった。名将三原といえども年の差は10年三原の方が若い。まして1935年(昭和10年)に「東京ジャイアンツ」初代主将として、まだ若かった三原を引き連れて渡米した先輩にこれ以上「口ごたえ」出来なかった。

しかし、後日、こんな事実が判明した。「当日、必ず、二出川はルールブックを携帯することに信念を待っていた。前日夜遅くまで、自宅でルールブックを何度も、何度も確認して寝床についた。しかし、この試合だけはルールブックを携帯してなかったらしい。誠に興味深い話である。

先月の行司の式守伊之助にしろ、二出川延明にしろ、すごい人が勝負の判定に命をかけていたのだと、あらためて感心する。私はどういうわけかこの話を小学生の時に聞いて、今でも行司のことと同様に記憶している。

話は長くなって申し訳ないが、昔の人は仕事に命をかけ、人生をかけていたのだとつくづく思うきょうこの頃です。それに比べ、今の時代は人の倫理観、責任感も地に落ちたような気がします。

すべてが無責任状態、誰も責任を取ろうとしません。特に組織のトップが逃げ回る醜い時代となってしまいました。何とか昔の日本に戻したいものです。

さて、11月を霜月というのは、皆様よくご存知のことと思いますが、旧暦では12月頃、霜の降りることから11月を霜月といわれるようになりました。

今年も僅か残すところ2ヶ月、何とか、霜のような冷たい心から太陽のような温かい心になれるよう、皆様、頑張りましょう。

平成27年11月1日 院長 坂本貴史


2015年10月1日

10月(神無月)を迎えました。今年も早3ヶ月余り、とにかく時は早く過ぎ去ります。皆様、久しぶりの5連休の後の疲れが出ているのではと心配です。

私もこの寒暖差と雨ばかりの天気に少々まいっていますが、5連休は関東地方は久しぶりの秋晴れが続きました。何か急に季節が変わってしまって、まだ身体がついていかず、体調不良の方が多いようです。一年を元気に過ごすのが年々大変になるような気象変動です。

さて、大相撲9月場所は、まさかの白鵬の休場で、結果として面白くなり、大関照ノ富士がその存在感を充分相撲ファンに印象づけました。今月は少し相撲界のお話をしたいと思います。

先日、BSの番組でマニヤックな小学生の大相撲ファンの話題を放送していました。その小学生は何と行司さんが大好きで、行司の歴史や木村家、式守家など、何でも知っていて、今活躍している行司さんのものまねをします。

私はそれを見ていて「何とものまねが上手な小学生だろう」と感心してしまいました。実を言うと私も行司さんに小学生の時より関心があり、かっこいい行司さんに憧れました。

さて、行司さんの歴史を語るには相撲部屋の組織について少し語らなければなりません。行司さんは、何と各部屋付となっています。皆様知っておられましたか?

名前には木村と式守があることは広く知られています。また行司の最高位を立行司と言われているのも有名ですね。結びの一番の軍配をかえすのは木村庄之助で、その一つ前の取り組みは式守伊之助が担当します。

すなわち式守伊之助も立行司で立行司は2人います。その下は三役格の行司、すなわち行司の幹部です。最終的に勝負の白黒をつける権限を持っているのは親方衆で構成する審判部で、今の部長は伊勢ヶ濱(親方)が務めています。副部長は井筒親方と藤島親方が務めています。

行司のエピソードに入ります。昭和33年9月場所の出来事!!横綱栃錦と前頭7枚目の北の洋の一戦で軍配を握っていたのが、当時ひげで有名だった第19代式守伊之助です。

伊之助はあごに立派なひげをはやしていました。当時、横綱栃錦は大変な人気で、横綱若乃花と栃若時代を作り上げ、大いに相撲人気に貢献していました。

勝負の軍配は横綱栃錦に上げましたが、勝負審判から物言いがつき、勝負審判の協議により行司さし違いで結局、北の洋の勝ちとなりましたが、土俵上で勝負審判が協議しているところへ伊之助が頭を突っ込み、自分の考えを言い、栃錦の勝ちを最後まで主張し、涙を流しながらの訴えでした。

結局、勝敗の権限を持つ勝負審判には敵いませんでした。行司は勝負審判の決定に逆らうことは御法度となっています。

それゆえ、式守伊之助には9月場所中、出場停止の処分が下されました。実は後で映像を解析してみると伊之助が正しく、栃錦が勝っていたのです。これは後に「世紀の誤審」と言われるようになりました。

この時の式守伊之助を私は偶然テレビで見ていました。「何てかっこいい行司さんだろう!!」と思ったことを今でも憶えています。

この時から私は行司に関心があり、それから行司さんのことをいろいろ調べるようになったのです。先程の行司が大好きな小学生もきっと名勝負に軍配をとった行司を末永く憶えることになるのでしょう!

さて、10月(神無月)の語源の由来ですが、神無月とは10月に全国の神社の宮司たちが一同に出雲大社に集まり、ある男女のカップルが結婚して良いか、悪いかを協議する月なので、全国の神社には一時的に神官がいなくなるため神なし月が神無月(かんなづき)となった説が圧倒的に正しいとされています。

10月に山陰地方を旅行するのもなかなかおつなものです。どうぞ読者の皆様も山陰に出掛けてみて下さい。きっと素晴らしい出会いがあると思います。

平成27年10月1日 院長 坂本貴史


2015年9月1日

9月(長月)となりました。強烈な暑さだった8月を過ぎると、めっきり秋らしくなるのも不思議なきょうこの頃です。読者の皆様はこの酷暑をどう乗り切りましたか、私は完全に夏バテで、デレデレ、ヨタヨタしています。歳には勝てませんね。

さて、今夏の甲子園の高等学校の野球大会は久しぶりにすべての試合が白熱した戦いぶりでした。最近では、一番見ごたえがあったように思います。我、神奈川県代表の東海大相模高校が見事優勝しました。

久しく神奈川県も優勝から遠のいていたので嬉しさも格別です。しかし対戦相手の東北、宮城県代表の仙台育英高校にも優勝旗を抱かしてあげたかったというのが本音です。大会前、期待されていた選手達が皆、大活躍して期待を裏切らなかったのも試合を面白くした要因だったと思います。

さて、夏の甲子園といえば、入場行進に使用する全国高等学校野球選手権大会の歌と言うものがあります。私は学生の時からこの歌が大好きで、いつも高校野球の時期が来るとつい口ずさんでしまいます。

少しこの歌のエピソードをお話したいと思います。この歌の名称は「栄冠は君に輝く」といいます。作詞は加賀大介さん、作曲は古関裕而さんです。1948年といいますから太平洋戦争に負けてから3年後、日本の学制の改定により新しい高等学校野球選手権大会の歌を作ることになり、主催者の朝日新聞が歌詞の公募をしました。

5252編の中から見事優秀作品となったのが、この「栄冠は君に輝く」でした。これは石川県に住む文筆家、加賀大介の歌詞です。当時作詞者は中村道子とされ、後に加賀大介の婚約者の名前であることが分かりました。

最優秀作品の懸賞が5万円で、当時の公務員の1ヶ月の給与の10倍でした。加賀は懸賞金目当てに作詞したと思われることを嫌って、婚約者の中村道子の名を借りて応募したそうです。

加賀は幼少の頃から野球球児でした。しかし、野球の試合中の怪我による骨髄炎で右足を切断するという悲劇が襲ったのです。しかし、加賀の野球に対する情熱は衰えませんでした。

この詞は野球に対する加賀の熱い想いが強く込められています。作曲はマーチの王様であるスーザにちなんで、日本のスーザと言われた有名な作曲家の古関裕而です。一つの歌にしても隠れたドラマがあるんですね。皆様も一度ゆっくりこの歌を聴いてみて下さい。

最近では歌手の「夏川りみ」さんが歌っているものがあります。これはとっても素晴らしいですね。でも2008年にリリースしたかもしれません。もう7年も経過してしまいました。時の経つのは早いものですね!!

さて、遅ればせながら恒例の陰暦の月名のお話です。8月を長月と言い、長月とは語源は諸説あり、我々の現在使っている新暦では10月上旬から11月上旬にあたり、夜がだんだん長くなる「夜長月(よながつき)の略とする説、その他、雨が多く降る時季であるため「長雨月(ながめつき)」が転じたとする説などあるが、この中でも「夜長月」の略とする説は昔より広く信じられている説で最も語源として有力とされています。

すぐそこに秋が来ています。あと少しの残暑を皆様と乗り切りましょう。

平成27年9月1日 院長 坂本貴史


2015年8月1日

8月(葉月)となりました。梅雨も早めに明けて毎日猛暑が続いておりますが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

さて、恒例の陰暦8月の(葉月)の語源の由来ですが、葉月は、新暦では9月上旬から10月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説や、北方から初めて雁が来る月なので、「初来月」「初月」から「葉月」になったという説、そして稲の穂が張る月「稲張り月」「張り月」から「葉月」になったとする説があります。

話は変わりますが、先月24日は作家、芥川龍之介の命日だと林修先生が言っていました。太宰治は6月19日の命日で、「桜桃忌」、芥川龍之介は7月24日で「河童(かっぱ)忌」と言うことは、皆様はよくご存知のことだと思います。

今年の芥川賞は、お笑芸人の又吉直樹さんが「火花」で受賞したことは、これも皆様ご承知の通りです。今年はお笑芸人の受賞と言うことで久しぶりに芥川賞、直木賞の受賞が盛り上がっています。

そもそも文壇の有望な新人の作家に授与する賞で、文芸春秋社の創立者であり、作家の菊池實が創設しました。芥川賞は純文学に、直木賞は大衆文学に授与されます。ちなみに直木賞の直木とは直木三十五という大正から昭和初期に活躍した作家です。

意外と直木三十五という作家は知られていません。直木の名が三十五ということも知らない方が多いようです。お笑芸人の又吉直樹さんの「火花」を私はまだ読んでいませんが、芥川龍之介は中学校、高校時代によく読みました。

文豪芥川龍之介はやはり文豪の夏目漱石に影響を受けています。漱石が主宰するグループ「木曜会」のメンバーでした。グループには、後に岩波書店を創設する岩波茂雄もいます。他に名高い作家達が名を連ねています。

芥川は短い35年の生涯でしたが、短編中編小説を中心に150作ぐらいを執筆しています。私も高校1年の時、「蜘蛛の糸」を読みました。そして「河童」「羅生門」「枯野抄」「蛙」「鼻」「杜子春」「藪の中」を読みふけったことを昨日のように憶えています。

私が読んだ作品で芥川の作品の中では比較的長い小説で「枯野抄」というものがあります。私はこの小説が一番気に入っています。小説「枯野抄」の要旨は、「俳人松尾芭蕉が臨終の際、その床のまわりに弟子達が取り囲んでいました。その臨終の場面で何人もの弟子達の本当の心を臨終の場に立ち会った医者の木節の眼を通して語っています。

ある者は大先生の死に内心「ほっとした」気持ちを持ち、ある者はこれから自分の生計をどう立てるかを心配しています。ある者は松尾芭蕉の臨終のこと等考えないで、自分の今日の予定を考えたり、弟子達のなかで無心に芭蕉の死に直面しているものが誰一人としていなかったのです。強いて言えば愛弟子の去来ぐらいでしょうか!!

そこで、芥川は人間の死を深く掘り下げ、人間の死を正面から捉えることの難しさ、困難さを語りたかったのでしょう。人間は邪悪な心をどうにか隠そうとしていると芥川は考えていたのでしょう。

今、我々が直面している安保法制について、集団的自衛権について、どれだけ自分のこととして正面から捉えているのか問われると、しっかり安保法制について考えている人はまだまだ少ないと思います。

芥川も今生きていたら、自分のこととしてこの問題を文学、つまり小説というツールを使って表現するように思います。多くの学者達、著名な俳優達、心ある学生達、婦人団体、平和市民団体がこの安保法制に反対し、立憲主義を守ろうとしています。

きっと芥川も直木三十五もこの安保法制には大反対することでしょう。この法案の参議院での審議を注意深く見ていきましょう。我々の戦後70年に及ぶ平和を守り抜きましょう。

平成27年8月1日 院長 坂本貴史


2015年7月1日

7月(文月)となりました。はや夏到来です。でも、関東地区では7月いっぱいは梅雨が続くので、本格的な夏は8月になってからのようです。

私の学生時代は7月の中旬ぐらいに梅雨が明けていたと思います。地球温暖化で雨量が多く梅雨の期間も長くなったのかも知れません。

さて、恒例の7月文月の語源の話です。文月の語源は短冊に和歌や文字を書いて、書道の上達を祈った七夕の行事にちなみ「文披月(ふみひらきづき)」が転じて文月となった説が有力とされています。

その他、陰暦7月が稲穂が膨らむ月であるため、「穂含有(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」から転じた説もあるそうです。子供の頃は短冊に願い事を書いて、竹飾りと一緒につるしたものです。私の子供の頃の懐かしい想い出です。

さて、ここ神奈川県の平塚市は七竹飾りが豪華であることで、一応有名です。平塚の七夕祭りは昭和25年に商店街の活性化のために始まり、今年で65回目です。しかし、最近は竹飾りが貧弱となり、とても淋しい限りです。これも時代の流れというものでしょう。

話は全く変わりますが、先月6月29日は「佃煮の日」だそうです。佃煮と言えば、日本の朝の食卓には欠かせないものですね。又、深夜に夜食として佃煮がのったお茶漬けを食べたことのある方は多いと思います。

しかし、最近では佃煮も高級品とされ、贈答品として珍重されています。佃煮の歴史をたどれば、とても古く、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の時代にさかのぼります。

16世紀のこと、明智光秀は京都本能寺において君主の織田信長を暗殺しました。俗に「本能寺の変」です。明智光秀の軍は徳川家康の軍を追いつめていました。窮地に陥った家康軍は大阪まわりで、静岡の岡崎まで逃げ戻りました。

その時、家康軍の手助けをしたのが大阪の佃の漁師たちでした。川を渡れず困っていた家康軍を舟で向う岸まで渡し、小魚を煮た非常食をふるまいました。

命からがら家康軍は難を逃れることができたそうです。その功績で家康が江戸幕府を開くと、大阪の佃の人々に今の佃島を与えました。そうしてできたのが佃島です。そして、江戸に来た漁師達が千葉県の野田から伝わった醤油を使って、今の佃煮を考え出しました。それは江戸後期のことでした。

今でも佃島の「天安」さんや浅草橋の「鮒佐」さん等、江戸時代から続いている佃煮屋さんが健在です。これらのお店の佃煮は手作りだそうです。最近の佃煮の中にはフォアグラの佃煮やウナギの佃煮があるそうです。

佃煮一つをとってもその歴史は興味深いものです。鬱陶しい梅雨の夜、佃煮の茶漬けでも食べて戦乱の時代に思いをはせるのも、また一興です。では、これを7月の院長挨拶と致します。

平成27年7月1日 院長 坂本貴史


2015年6月1日

6月(水無月)となりました。もう一年も半分を残すのみ!本当に月日の経つのは早いものです。6月と言えば紫が似合う季節ですね。

雨に映える紫陽花、菖蒲や杜若等の花の競演が人々を楽しませてくれます。梅雨は鬱陶しいですが、雨に濡れた紫の花々が心を癒してくれます。

さて、恒例の陰暦6月の由来ですが、水無月の「無」は連体助詞と言うらしく「の」の意味だそうです。ですから「水無月」は「水の月」と同じことになります。この季節は田植えの為、田に水を引く月であることから水無月と言われるようになったという説が有力だそうです。

ところで昔より前述の菖蒲や杜若を用いた熟語があります。「いずれ菖蒲か杜若」と言うものです。これはどちらも優れていて甲乙つけ難く、選択に迷ってしまうという意味です。それぐらいこの菖蒲と杜若の花は酷似しています。

いづれもアヤメ科です。平安時代末期の事、源頼政が怪しい鳥を退治した褒美として、菖蒲前という美女を賜るときに、十二人の美女の中から選び出すように言われて詠んだ歌に起因すると言われています。

日本も旅行の季節となってきました。先月5月の16日は江戸時代の俳人、松尾芭蕉が愛弟子、河合曾良を引き連れて旅に出た日にあたります。1689年5月16日の事です。何と、2,400kmの道程を約150日間でまわったのです。

その時の旅行記が、かの有名な「奥の細道」です。「奥の細道」を読んでない方も、以前に、中学校や高校の国語の授業でたぶん習っています。

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」や「五月雨を 集めて早し 最上川」そして、「夏草や 兵どもが 夢の跡」などがありますね。芭蕉は江戸深川の庵から旅立っています。今でも、そこには記念碑が立っています。興味のある方は見に行くといろいろ勉強になりますよ。

「奥の細道」の中で芭蕉は人生を語っているのでしょう。さあ、「いざ東北に旅しよう!!」このじめじめした梅雨の頃にあえて旅に出て、日本の歴史を楽しまれるのも良いかと思います。

では、又、7月(文月)にお会い致しましょう。


2015年5月1日

5月皐月となりました。日本では一年中で最も爽やかな時期ですね。皆様のゴールデンウィークの予定は?私はもっぱら滞った書類の整理です。学生時代のように春の山々に行くことが出来ず、とても残念です。BSの山の番組を見て我慢することにします。

さて、恒例の陰暦、皐月の語源のお話です。皐月は耕作を意味する古語である「さ」から、稲作の月として「さつき」になったとする説が有力です。

早苗を植える月として「早苗月(さなえづき)」が略され「さつき」になったとする説もありますが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされているそうです。漢字の「皐」には「神に捧げる稲」の意味があるため、皐月が当てられたと言われています。

話は変わりますが、最近、首相官邸に侵入して話題になっている「ドローン」の飛び方を見ていて、学生時代のエピソードを想い出しました。私はちょうどゴールデンウィークに南アルプスを縦走していました。

その時はかなり重いリュックを背負って山登りをしていました。北岳、間ノ岳を経て、農鳥岳を下山していた時のことです。下山途中、山小屋に立ち寄ると、そこのおばさんが急病となり倒れてしまいました。

山小屋のスタッフが山麓の警察に助けを求めて連絡をした後、何と陸上自衛隊のヘリコプターが救助に山小屋へ向かって来ました。その山小屋は谷の中に立っていたので、救助が困難なため自衛隊のヘリコプターが来てくれたのでしょう。

谷間の山小屋に近づいたヘリコプラーがホバーリングをはじめて、山小屋のテラスに足をかけるように浮いていました。何と見事な操縦でしょうか!!登山者全員が拍手をしたのを今でも憶えています。

そして、自衛官がおばさんをヘリコプターへ搬入し、山麓の身延の小学校の校庭に無事着陸し、そこに待っていた救急車に移され山小屋の人と病院へ向かいました。私は同乗していたので小学校の校庭に残されました。

私は「さて、待てよ!!しまった!」山小屋に自分の荷物を置いて来たのをその時気づきました。後の祭りとはよく言ったものです。また私は山小屋まで自分の荷物を取りに行く羽目になったのです。

その間抜けさは今でもあまり変わりがありません。そうそう何を言いたかったかというと、その自衛隊のヘリコプターの見事なホバーリングと首相官邸に侵入したドローンの飛行のし方と全く同じだと思ったわけです。現在の最新技術で出来た「ドローン」の飛行のし方と何十年も前に見せてくれた自衛隊のヘリコプターのホバーリングの飛行のし方と同じだったのです。

このヘリコプターの原型を考えたのが、かのレオナルドダヴィンチであることを読者の皆様は御承知だったでしょうか!!私はイタリアの「フィレンシェ」に旅行中、レオナルドダヴィンチが考案したヘリコプターの原型の設計図を博物館で見たことがあります。

本当に科学のルーツとは面白いものです。私も竹コプターで「ドラえもん」と同じように世界中あちこち行ってみたいものです。きっと、そういう時代が来るような予感がします。

では皆様5月(皐月)のさわやかな日々を楽しく、すこやかにお過ごしになって下さい。

平成27年5月1日 院長 坂本貴史


2015年4月1日

4月(卯月)となりました。もう4月とは、時の過ぎる速さにいささか慌ててしまいます。一年の三分の一が経過しようとしています。私の大好きな3月も記憶の彼方へ飛んでいってしまいました。

さて、恒例の陰暦4月の月名の語源をお話しすることにします。4月は陰暦(旧暦)で卯月と書くことは読者の皆様はご承知のことと思います。

4月を卯月と言うのは、卯の花が咲く季節なので、「卯の花月」と略すという説が有力とされています。卯月の「う」は「初」「産」を意味する「う」で、一年の循環の最初を意味したとする説もあり、その他、稲を植える月で「植月」が転じたとする説もあるそうです。
諸説の中で私は「卯の花」が咲く季節なので「卯月」と呼ぶようになったという最初に御紹介した説が本当ではないかと思いますが、読者の皆様はいかがお考えですか?

さて、先月3月と言えば、3月の院長挨拶で申しましたとおり、私の誕生月なので一年の中でもっとも好きな月です。

3月には諸々の行事がありますが、なかでも困りものはバレンタインデーのチョコの御礼を送るホワイトデーがあることです。私も若い時はデパートの買い物袋いっぱいになるほどの「義理チョコ」をもらっていました。

今は、淋しいもので、ごく少数の患者さんから頂くだけです。一応、当医院の女性スタッフには「義理チョコ禁止令」を出していますが、若い時ホワイトデーが近づくと「今年は何にしようか?」と空っぽの頭を使います。

「そうだ、ボーチ!いや、化粧品セット、はたまた、ハンカチ、ブローチがいいかな?」等と思いを巡らせます。買うのも大変ですが臨時出費が大変ですね。読者の皆様も思い当たる方がいるのでは!!

さてさて話は大きく変わりますが、先月3月28日は井原西鶴で有名となった「八百屋お七」の命日です。江戸時代前期のこと、「お七」は江戸の本郷にあった八百屋の娘で恋人である寺小姓だった「生田庄之介」に再会したい一心で自らの家に放火をし、その罪で鈴ケ森の処刑場で火あぶりの刑に処せられました。

前述したように江戸の作家である井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられ、民衆に広く知られるようになりました。「お七」一家は天和2年の大火(1683年)で、焼け出され、「お七」は親と一緒に正仙院と言う寺に避難しました。
しかし、八百屋が再建されると、寺小姓の「生田庄之介」と涙の別れをしなくてはならなくなりました。しかし、「お七」の恋心は益々燃え上がり、再び会いたいと思いつめ、ついにこともあろうに、自分の家に火を付けてしまいました。

「お七」はまた焼け出されれば恋人の「生田庄之介」に会えると思ったのです。しかし、江戸の町は木で出来ているので、すぐに大火事になるので放火は火あぶりの刑と言う断罪です。その火あぶりの刑で命を落としたのが3月28日です。

悲しく、恐ろしい物語ですね。これは実際に起こった事件なのです。江戸の女性はなんと情熱的なのでしょうか!!随分話がずれましたが、若い読者の皆様、4月は新しい出会いの季節です。新しい恋人が出来るかも知れませんね。

八百屋、お七のように放火はもっての外ですが、女性の燃えるような愛に対しては歓迎の男性は多いのではないでしょうか!!

では又、5月にお会いできることを楽しみにして院長挨拶を終わります。

4月1日 院長 坂本貴史


2015年3月1日

3月(弥生)となり、寒かった日々が終わろうとしているきょうこの頃です。町の青果店には春を告げる山菜が店頭に並び始めました。読者の皆様の何人かは風邪に悩まされながら、この厳冬を乗り切ったことと思います。私は何とかインフルエンザにならずにすみました。

春と言えば、花粉症の季節でもあります。昔と比べ花粉症になる方がだいぶ増えてしまいました。これも植林の杉等が原因していますし、PM2.5も原因の一つです。とにかく花粉症に負けずに頑張りましょう。

春と言えば別れの季節でもあります。昔の唄で「会うは別れの初めとは」という歌詞がありましたが、その通りで幼稚園、保育園に始まり小学生、中学生、高校生、そして専門学校生、大学生は卒業式を迎えます。

学び舎から去る時期は、日本では春ですが、欧米の多くは6月頃に生徒や学生達は卒業します。そして忘れてはいけないのは会社の退職や転勤の時期でもあります。

定年退職する方もいれば、何かの都合で退職なさる方も多いと思います。また急に遠方へ転勤なさる方々は、その心構えと準備に大変です。特に海外へ転勤となるとなお一層大変です。言葉の問題も大きな悩みとなってしまいます。もっと大変なのは転職ですね。

私の青春時代は欧米へ転勤といったら、憧れの的でした。誰もが羨むことでした。それが世界中危険になってしまいました。恐ろしい気さえするようになりました。何と嘆かわしい時代でしょう。

話は全く変わりますが、私の学生時代を振り返ってみると教授達は威厳があり、随分偉い人に見えたものです。今の学生と教師の友達感覚は昔の時代はあり得ないことです。

一見友達感覚は良いことばかりに思えますが、やはり、目上の人への尊敬(でも尊敬できない人が多過ぎますが)は必要だと思うし、先輩達は目下の人々を指導することも大切で、日本の習慣も悪いことばかりではないと最近痛切に感じるようになりました。私の感覚は相当古いのかもしれません。

教師と学生が親しいことは良いことですが、度が過ぎると何事もまずいことが起きるものです。それも、今の社会を何かおかしくしている一因かも知れません。

さてさて、随分後になりましたが恒例の3月(弥生)の語源の由来を述べます。日本では、旧暦3月を弥生(やよい)と呼び、現在でも新暦3月の別名としても用いられています。弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力です。

来月は4月(卯月)です。様々な人たちの出会う月です。それまでお元気で風邪やインフルエンザにかからないように、そして花粉症に負けないように頑張って下さい。では、くれぐれもお身体を御自愛ください。

平成27年3月1日 院長 坂本貴史


2015年2月1日

2月(如月)となりました。あっという間に正月が過ぎ正月モードから抜け出されない読者の皆様もおられるのではないでしょうか!こういう速度でまた一年が過ぎ去ってしまうのですかね!

また、恒例となった2月を如月と言う旧暦の月名の由来をご紹介します。

旧暦2月を如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼ぶ。「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったものであるようだ。でも、「きさらぎ」と言う名前の由来はやはり諸説がある。

旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」・草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)2月は他に梅見月(うめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もあるようです。

とにかく旧暦の月名の由来は面白いですね。

さて、私は1月のメールマガジンでも、すでに述べたのですが、正月2日、3日に行われる箱根駅伝が子供の頃から大好きです。平塚は丁度、往路3区から4区へ、又、復路は7区と8区の中継地点があるので、昔から平塚の人達はみんなこの箱根駅伝を正月の楽しみの一つにしています。

箱根駅伝の正式名称は東京箱根間往復大学駅伝競走と言います。今年で何と91回目を迎えました。箱根駅伝が始まったのは何と大正時代で、第二次世界大戦中を除いて大正、昭和、平成とめんめんと受け継がれています。

もちろん大会理事長は現役の大学生で、役員には女学生もいます。大学生だけでは全てを運営出来ないので、日本陸上競技連盟等、各関係団体も全面的にバックアップしています。

そして警視庁と神奈川県警本部は全面に交通や人々の整理に万全を尽くすよう、バックアップしてくれます。共同主催は読売新聞社、報知新聞社、日本テレビ放送網や、企業ではサッポロビールが中心にトヨタ自動車など数多くの企業が箱根駅伝を支援してくれています。

私の子供の頃は戸塚→平塚間は今の旧第一国道を走っていました。いつの間にか湘南の海を横に見て選手達が走り抜けるようになりました。私は職業柄走っている選手達の歯並びに眼がいってしまいます。

ほとんどの選手がとても綺麗な歯と歯並びをしています。私はアスリート(スポーツ選手)の歯と歯並びに注目しているのですが、どのスポーツでも一流と呼ばれる選手達は全員と言っていい程、綺麗な歯をしています。

小さい時からスポーツ選手を目指す子供は歯と歯並びに非常に気を使います。とにかくアスリート達は身体のバランスが大切で、身体の中心がどこなのかが肝心なところです。ですから歯と歯並びが群を抜いて美しいのです。

ぜひ読者の皆様もアスリートの口元をよーく見て下さいね。

全豪オープンで惜しくもベスト4を逃した錦織圭選手もとても歯が美しいし、スケートの浅田真央選手も歯が美しいです。今年の節分にはぜひ、歯とお口の中の健康を願って豆まきをして下さいね。

では、これを2月の院長挨拶とさせて頂きます。インフルエンザが全国的にかなり流行しているので、くれぐれも体調にはご留意して下さい。

平成27年 2月1日 院長 坂本貴史


2015年1月1日

読者の皆様、明けましておめでとうございます。穏やかな新年をお迎えのことと存じます。旧年中は何かと、坂本歯科医院に対しまして御支援を賜りましたこと深く御礼申しあげます。本年度も何とぞ御指導ならびに御鞭撻の程よろしく御願い申し上げます。

恒例となりました月名の陰暦のお話ですが、1月を睦月と呼びますが、語源の由来を調べると、「親類、知人がお互いに往来し、仲睦まじくする月」からとする説が有力だそうです。

その他、稲の実をはじめて水に浸す月で「実月(むつき)」が転じたとする説、又、「元になる月」で「もとつき」が「むつき」に転じたとする説などがあるそうです。今年もぜひ親類、知人と仲睦まじく往来したいものですね!!

さて昨年を振り返ってみると、我々庶民にとってあまり幸の多い年ではありませんでした。地球温暖化や地殻変動による大災害が数多く発生しました。これは日本だけではなく、地球全体で起こっています。何か我々人間の愚かな行動に対して、地球という惑星が強い警告をしているのかも知れません。

日本においては、集中豪雨による大洪水や土砂崩壊、又、御嶽山の大噴火、そして阿蘇山の噴火、長野県北部の地震をはじめとする各地の地震等、自然災害が数多く発生した年でもありました。

多くの犠牲になられた方々や被災した方々に追悼ならびに御見舞いを申し上げます。

また、日本社会を少し振り返ってみると、昨年は日本という国の針路を大きく変える出来事が多くあった年でもあります。私がこの世に生を受けてから一番危険な選択を今の安倍政権がしているように思います。

昨年の春頃から日本版NSCである国家安全保障会議の設置、武器輸出禁止三原則の改悪、それに続き、国民の言論の自由を大きく弾圧する特定秘密保護法案の制定、そして最大の問題である集団的自衛権行使容認の閣議決定、これは明らかに憲法違反です。

戦後自民党政権が69年間大切にしてきた、集団的自衛権の憲法解釈を安倍政権という一内閣が国民的議論もなく閣議決定してしまいました。これは戦後の日本政治史上で最も許すことのできないことなのです。

安倍首相の考え方はとても明白で、デフレからの脱却という庶民に耳ざわりの良い事を言って、無秩序な金融緩和を続け、一見景気が順調に回復していることを国民に印象付け、すぐさま大義のない衆議院の解散をし、憲法改悪に着手するという手法は明白です。

今年は戦後70年という年になります。戦後70年、日本国は先の戦争の深い反省と苦しみから恒久平和の道を国是として選択し、戦争をしない国となり、世界中の国から尊敬を集めてきました。

憲法第9条という国家理念を中心として国民(庶民)が主権者と位置付ける立憲主義の国として発展してきました。これは、安倍政権以前の自民党も大切にしてきたものです。

このことを深く考えないで国民は総選挙で誤った選択をしてしまったのです。投票率50%程度で国家の針路を危険な道へ歩ませる結果となってしまいました。これは私を含め多くの国民に大きな責任があります。

戦後生まれの人間が日本社会の多くを占める現在、第二次世界大戦の深い反省と深い悲しみ、苦しみを知らない人々が社会の中枢を占めてきました。

戦争中の言論の自由の弾圧や軍部による平和を愛する一般庶民への暴力、300万人を超える同胞の死、そして2000万人以上のアジアの人々を戦争に巻き込んだこの事実を若い人々はほとんど知らされていないし、教育されていませんし、勉強すらしていません。

日本ほど、原子爆弾をはじめとする核の恐ろしさを知っている国は世界中にはないはずです。原子力発電は平和利用と言って導入しましたが、自然の力によってもろくも安全神話は崩壊し、絶対に安全などないことが証明されました。

今年は、日本の平和の歩みについて重要な意味を持つ一年となることは現実のことです。私は政治的には極めて中立だと思って自負しておりますし、何の党にも属していない無党派層の一人の庶民ですが現在の平和憲法を守り抜き、世界中に戦争のない世界の実現を強く願っている小さな人間であることを申し添えます。

田中正造は「雨だれも石を穿つ」と言いました。平和を愛し、今の平和憲法を大切に思っている日本国民は大多数と思うので、もう一度我々はこの日本の世界における立ち位置を深く考える一年としなければ、後世の若い人々に申し訳ないことになります。

どうか、この一年が平和で、穏やかな一年でありますことを祈念致しまして、年頭の院長挨拶と致します。

平成27年 元旦 院長 坂本 貴史


2014年12月1日

12月(師走)となりました。あと一ヶ月で新年を迎えます。何と一年が早く過ぎ去ることでしょうか!!昔より「門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と言われています。私も来年3月には又歳を重ねます。

さて恒例となった陰暦の由来のお話ですが、12月を師走と言うのは、よく一般社会でも使われていますね。師走の語源は皆様よく御存知のことと思います。「日本中の寺の僧侶(法師)が東西にお経をあげに走り回る」と言うことです。この説はかなり有力らしいです。

その他「年が果てる」の意味の「年果つ(としはつ)」が変化したという説、「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとする説、、「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」からとする説等があるそうです。いつもながら陰暦の月の名の語源の由来は面白いものですね。

話を変えて、今年を振り返ってみると、この日本は、まさに「災害列島」です。日本各地で起こった集中豪雨による大洪水、そして大規模な土砂崩れ、御嶽山の大噴火、そして長野県白馬村の地震等あげれば枚挙に暇がありません。

日本は古来より自然災害を何とかかわし自然の驚異というものにつきあって来た永い歴史があります。自然に極力手を付けず、山、川、海、特に山林や里山、そして川岸をうまく利用して暮らしてきました。自然災害からの被害を何とか最小限に抑えてきたのです。

これはまさに減災という考え方です。明治以降、日本は急速に西洋の文明を取り入れ、日本全土を改造して行ったのです。大きなダムを築くため山林を大規模に伐採しました。里山を崩し田畑も急速に広げて行ったのです。

川も人の力で流れを大きく変えました。皮肉にもその結果は自然からの逆襲ということになったのです。完全な防災は不可能だということを、現代人は知る機会が増えてしまいました。

文明は便利な世の中を作りますが、時として人を恐怖に落とし入れます。人間はしばしば愚かな行動を取ってしまいます。12月になってもいまだ災害から復旧していない地域が日本中にたくさんあります。その代表格が福島の原子力発電所の事故現場です。

そのような状況で愚かな人間の代表とも言える安倍首相が、何と衆議院を解散してしまいました。もう呆れてものが言えません。これからこの災害列島「日本」の将来はどうなって行くのでしょう。

市民の力、庶民の力が強くなり、民主主義が本当に成熟して行く日本であって欲しいと願うばかりです。主権が一般国民にあること、立憲主義がしっかり守られている日本であって欲しいと思います。平和憲法を大切にしていきましょう。

少々政治的になってしまいましたが、これを今年最後の院長挨拶と致します。清水寺の官主は今年を何と書くでしょうか?どうか「災」でないことを願っています。また新年にお会いできることを楽しみにしております。

12月1日 院長 坂本貴史


2014年11月1日

11月(霜月)となりました。今年の秋は早く始まりましたが、長期予報によると平年よりやや暖かい冬となりそうです。でも予報は予報ですからどうなりますか?

さて恒例の霜月の語源の由来をご紹介しますと、霜月は「霜降りの月・霜降月(しもふりつき)」の略が有力な説ということです。その他に「食物月(をしものつき)」と略す説や「摺籾(すりもみづき)」の意味など調べるとかなり多くの説があるようですが、いずれも有力な説ではないようです。

さて、私の住んでいる平塚市内にイタリアン・レストラン「トラットリア・リトルターン」と言うお店があり、私は開店以来の常連をきどっています。

もっぱら、ランチ880円を食べることにしています。ランチはパスタ、ピザ、リゾット等から一品選べます。スープ、ドリンク、サラダも付いて880円なので、とても利用しやすいお店で昼になるとすべての席が埋まるほどいつも満員です。ぜひ一度訪れてはとお勧め出来るお店です。その節は予約も忘れずに!

その「トラットリア・リトルターン」が開店してからこの10月で五周年を迎えたということで、その店のオーナーシェフが常連を集めて開店5周年の会を設けてくれました。

会場は「トラットリア・リトルターン」のオーナーシェフが昔から知っている懐石料理店「樹勢(きせい)」というお店でした。

この懐石料理店「樹勢(きせい)」も何とミシュランの一つ星をもらっています。ご主人はとてもアットホームな気取らない方なので、こちらも常連客が多いお店です。この懐石料理もとても美味しく旬の食材を使った料理に感激してしまいます。

さて、話は戻りますが、この「トラットリア・リトルターン開店5周年の会」であったエピソードを一つ話します。お祝いの会はオーナーシェフの挨拶で始まり、開店からの超常連の方のお話と乾杯、そして美しいお料理に舌鼓を打っておりましたら、わざわざ懐石料理店「樹勢」のご主人がお祝いの言葉を言いに来てくれました。

そのご主人のスピーチに私は痛く感動した次第です。そうこうしているうちに最後の締めの挨拶となりましたが、何と私が指名されてしまいました。

さて突然のことで挨拶など用意していなかったので、かなり動揺しました。なにか挨拶せねばと心を落ち着かせて、小説「戦争と平和」の作者で、ロシアの文豪であるトルストイの言葉を引用することにしました。

トルストイの言葉の要旨は「ひとの一生は平穏なことなどない。一人、一人、皆、さまざまな苦難に遭遇する。平凡な人生であることは、何よりも変え難い幸福である。すべての家庭が皆、同じように平凡に見えて欲しいと私は願う」と言うものです。

さすが、ロシアの文豪トルストイだと思い、この言葉を五周年のお祝いの挨拶に使いました。そしてお祝いの会は無事終了しました。

この小さなエピソードのように、私は世界の人々が何とか皆、平穏、平凡に見える世の中であって欲しいと願う毎日です。これを11月(霜月)の院長挨拶と致します。

平成26年11月(霜月)1日 院長 坂本貴史


2014年10月1日

10月(神無月)となりました。今年も今月を含めてあと3ヶ月となりました。歳を重ねてくるにしたがい一年がものすごく速い速度で過ぎるように感じるのは私だけでしょうか?読者の皆様はいかがでしょう?

さて、10月を旧暦では「神無月」と言いますが、その語源は皆様もご存知の説で「出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなる。つまり、神無月」と言う訳です。

どうもこれは、出雲大社の御師が全国に広めた民間語源と言うものらしいです。日本では10月は結婚シーズンとされ、新しいカップルが生まれる頃です。

出雲大社に集まった神々が二人がうまくやっていけるかを協議しているのかも知れませんね。まだ人生のパートナーがいない方々も10月にはチャンスが来るかも!!

話は変わりますが、またもや大きな自然災害が起こってしまいました。御嶽山が大噴火しました。紅葉シーズンに入ったので、多くの登山客で賑わっていたその最中に惨事が起こってしまいました。

多くの登山者の方々が頂上附近で犠牲となってしまいました。捜索や人命救助が二つの高いハードルによってはかどりませんでした。噴火による噴石と硫化水素ガスです。

防護マスクを使用しながらの捜索、人命救助はとても難しいと言われています。多くの犠牲になった方々にも哀悼のまことを捧げます。怪我をなさった方々の一日も早い回復を祈っております。

もう一度、我々は火山列島に住んでいることを認識することが肝要だと思います。日本の100以上の山々がいつ噴火してもおかしくないと学者達は指摘しています。なお一層の火山の観測体制の充実を願わずにはいられません。

さて10月は紅葉シーズンのはじまりです。高校時代の話ですが、私は神奈川県平塚市に住んでいます。お隣の大磯町に旧三井邸がありました。

そこに国宝の茶室である「如庵」があったのです。もともと茶室「如庵」は、京都の建仁寺にありました。建仁寺は京都五山の一つに数えられ、とても有名な寺です。

その建仁寺を建立したのは、織田信長の弟である織田有楽斎です。有楽斎は武士を嫌い出家をして僧侶となり、禅の道に入りました。禅寺と深い関係になる茶道を好み、如庵という小さな茶室を建立しました。

それが何と、昭和に入り大磯町に移築されていました。私は三井邸に度々足を運びました。そこで秋には紅葉も楽しみました。

へぼな俳句を詠んで一人で楽しんでおりました。その俳句は「如庵にてにじり口より紅葉刈り」と言うものです。何と何とこの句がコンクールに入賞してしまいました。それからというもの禅寺と茶室が大好きとなり、多くの禅寺がある京都を度々訪れるようになりました。茶道の教室にもかよったものです。

私の青春時代の良い想い出です。今年は紅葉がとても美しいと言われています。どうか読者の皆様も安全な名所を選んで紅葉刈りをなさってみてはいかがでしょうか!これを10月の院長挨拶と致します。

平成26年10月1日(神無月)院長 坂本貴史


2014年9月1日

9月(長月)となりました。今年の夏は、今までに例を見ない異常気象となり、各地で豪雨による土石流、洪水、家屋の崩壊等、惨憺たる状態となってしまいました。

お盆明けより天気がかなり急変し始め、ついに広島市北部で大災害が起こってしまいました。死者、行方不明の方々であわせて80人近くになってしまいました。

いまだ、消防、警察、自衛隊の方々が懸命に救出作業を命がけであたられています。我々はただただ行方不明者の無事をお祈りするばかりです。無念にも命を落とされた方々に心より哀悼の意を捧げます。

この異常気象は、日本のみではなく全世界的に起こっています。何か地球の温暖化だけでは説明のつかない状況のような気がしてなりません。

また、中東地域では、どう手をつけて良いか全く分からないほど、宗教戦争や、テロとの戦いが止まりません。シリアでも、ウクライナ東部でも、そして、イラク、又、イスラエルとパレスチナの紛争ももう手がつけられない状態となってしまっています。

アメリカ合衆国、そしてロシアもまた、ヨーロッパ諸国という列強も今まで持っていた力をかなり落としているため、中東諸国、そして、ウクライナそして一部アフリカの国々に対しても停戦や和平の道を探ることさえできていません。

何とかしなくては、と国際紛争を防止することに努力をしている方々は懸命にその糸口を探していることでしょう。無念ながら私は無力です。これは、無責任極まりない言い方かもしれませんが、いくところまでいくしかないような気がしています。それがとても残念でなりません。

話は大きく変わってしまいますが、9月を長月と呼びますが、長月の語源を調べると語源には諸説があり、長月は新暦の10月上旬から11月の上旬にあたり、夜がだんだん長くなる「夜長月(よながづき)」の略という説や、雨が多く降る時季でもあるので、「長雨月(ながめつき)」からという説や、「稲刈月(いなかりづき)」の略や、「名残月(なごりづき)」が転じたとする説などたくさんありますが、この中でも「夜長月」の略とする説が昔より広く信じられているようです。

長月ひとつにしても諸説があってどれが正しいとは言えないようです。猛暑の夏もようやく終わり、やはり、秋の気配が少しずつ感じられ、朝、夕はだいぶ涼しくなりました。

これからは日毎に日の出が遅くなり、日の入りが早くなります、「秋の日はつるべ落とし」と言われるようにすぐに暗くなってきます。この秋の夜長に私達、地上に住む人間達は少し立ち止まって、これからの自分、これからの家庭、地域、これからの国のあり方等を考えながら、スマホやパソコンでなく、書籍を手にとって読書に時間を割いてみようではありませんか!

秋のお話をしましたが、前述したように気象が激変する昨今なので、読者の皆様に於かれましてはおからだを充分に御自愛下さい。今年後半は平穏な日々が続くことを祈るばかりです。そして平和な日々が世界中にくることを重ねて祈りこれを9月(長月)の院長挨拶と致します。

平成26年9月1日 院長 坂本貴史


2014年8月1日

8月(葉月)となりました。毎日、毎日、猛烈な暑さが続いておりますが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか?

私はあやうく熱中症になるところでした。すぐ「OS-1」で補液をし元に戻りました。とにかく辛い毎日ですね。

さてさて昔を振り返ってみると、夏には、縁側には、ぶたさんの蚊取り線香があり、朝顔や夕顔が垣根に咲き、うちわであおぎ、寝るときは蚊帳をつって蚊に刺されるのを防いだものです。

井戸でスイカを冷やし、打ち水をするなどして涼を取りました。現在では嘘みたいな話となってしまいました。昔を懐かしがるのは、私だけではないと思います。

さて、話は変わりますが、8月を葉月と言っていたのは良く御存知だと思います。葉月とは陰暦で8月のことを指します。

葉月の語源は、新暦では9月上旬から10月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になった説もあり、又、稲の穂が張る月、「穂張月」「張月」から「葉月」になったとする説など、諸々の説があります。

語源はとても面白いですね。でもどうも「葉月」の正確な語源は分かっていないようです。皆様はどの説が正しいと思われますか?

さて、また大きく話が変わりますが、今日、中東の状勢が最悪となってきています。第一次世界大戦で欧州の列強、イギリス、フランスが石油の利権を奪うため、勝手に中東の国々の国境を決めてしまいました。

パレスチナを追われた、ユダヤ人の為にイスラエルと言う国をアメリカが作ったことが、その後大変な民族間の争い、宗教戦争と発展してしまいました。

私の高校時代、「アラビアのロレンス」と言う素晴らしい映画がありました。デビッドリーン監督の名作の一つです。イギリスの将校のロレンス大佐は実在の人物です。

主役は「ピーター・オトゥール」そして脇役には「オマー・シャリフ」です。私は、映画の内容と映像に圧倒され、それ以後しばらくの間、「映画狂」となって、大学受験の勉強をちっともしなかったことをよく記憶しています。

「アラビアのロレンス」はまさに、第一次世界大戦のイギリス将校とアラビアのある民族の部族長との熱い友情と、惨い戦争を描いたものでした。

とにかく、強国が弱国を苦しめる構造はちっとも変化していないという人間の欲のおぞましさを露呈しています。

多分、「TUTAYA」等の貸しビデオ屋さんに行けば、昭和の名作映画の中にきっとあるはずなので、この夏休みに必ず見てくださいね。私の身勝手なお願いです。

読者の皆様も暑く辛い夏をどうか健康でお過ごしになることを願っております。では、9月(長月)にまたお会いしましょう。

平成26年8月1日 院長 坂本貴史


2014年7月1日

7月(文月)となりました。早いもので、もう今年も半分過ぎ去ってしまいました。歳を重ねるごとに、時の経過するのが早く感じビックリします。読者の皆様はいかがですか?

7月と言えば、私の住んでいる平塚市では、恒例の七夕祭りが行われます。平塚市の七夕祭りの歴史は浅く、昭和25年から地域商店街の活性化を目的に戦後行われるようになりました。少し立派な仙台の七夕祭りとは格下と言うことになります。

祭りとは市民全体が盛り上がり、そこに住んでいる方々が祭りの来るのを心待ちにし、祭りが近づいてくると胸が躍り、仕事が手につかなくなるようではないと本当の祭りとは言えないのではないかと、私は以前より思っています。

東北の三大祭り、いわゆる、青森、弘前両市のねぶた及びねぷた祭りや、秋田の竿灯祭り、そして仙台の七夕祭りや、江戸、東京の浅草の三社祭り、神田明神の祭りや、京都の祇園祭、博多祇園山笠等々全国に歴史のある祭りが数えきれないほどあります。

私は各地で伝統のある祭りを見る度に、昔から庶民がいかに祭りを大切にし、後世に伝えてきたか感激して見物しています。

祭りは万葉集が書かれた時代には庶民の祭りとしてすでにありました。祭りの歴史はとにかく古い時代ですね。

折角ですから少し七夕祭りの由来をたどってみたいと思います。

<七夕祭りの由来>

織女星(しょくじょせい)と牽牛星(けんぎゅうせい)−この二つの星を祭って、乞う(願う)巧(技芸)奠(まつり)を意味する乞巧奠(きっこうてん)は、日本でも早くから取り入れられたようです。

白鳳時代の持統(じとう)天皇五年(西暦691年)七月七日に、公卿たちと宴を開き、衣服を贈られたと日本書記にあり、また、公事根源(くじこんげん)には、孝謙(こうけん)天皇の天平勝宝七年(西暦755年)に、初めて乞巧奠を行ったとあります。

七夕祭りはその後もながく行われてきましたが、宮廷と武家に限られたもので、これが民間に伝えられるようになったのは、近世に入ってからのことです。江戸時代の寺子屋教育の影響によって、織女星と牽牛星の星が一年でもっとも近づく七月七日にはこれを祭って、女の子は手芸の上達を願い、男の子は手習いの上達を願いました。

また、幕府が七夕をふくむ五節句を制定したこともあり、七夕祭りは全国に広がっていったのです。七夕飾りの最初は、笹竹に五色の糸を垂らすだけでした。「和歌」で宮中に仕えた公家の冷泉家(京都)は、様々な文化と共に七夕の行事を昔ながらに今に伝えています。

その後色々と移り変わり、五色の糸も吹き流しとなり現在の七夕となったのです。冷泉家では、旧暦七月七日に乞巧奠を行っていますが、二星へのお供え物をのせる祭壇を星の座と呼んでいます。

七夕祭りの由来も歴史の重さを感じますね。

今年の夏は、エルニーニョ現象で冷夏と言われていましたが、どうも気象庁が長期予報を変更し、例年の暑さだと聞いたとたんもう何だか夏バテがすぐ来るとガッカリしました。
しかしある程度、夏は暑くないと稲をはじめ農作物が豊作とはいかないので、複雑な気持ちにもなります。農家の方々は命をかけて農作物を作っておられるので私のわがままなど通るわけがありません。

さて、今年の夏は、初めて原子力発電がゼロ稼働となります。7月1日より節電の季節が始まります。原発ゼロでも日本は大丈夫だと、どうにかして、今の安倍政権に見せつけなくてはなりません。

福島の方々の心に寄り添って原発ゼロの日本を築くため、我々日本国民は一致団結しようではありませんか!!

平和を愛し、日本の豊かな自然を大切に思う人々が真の日本人です。国民の自由と権利を奪う安倍政権も国民一人一人に寄り添う政治をして欲しいものです。私は無党派ですが日本の平和憲法を基とする立憲主義を高く評価しています。

私は今年の七夕祭りには「平和憲法を守り抜こう」「高齢者をもっと大切にしよう」「格差社会をなくそう」「北欧の社会保障に少しでも追いつくよう政府に求めよう!」「国民一人一人が平等な教育を無料で受けられるようにしよう」等々を竹飾りの短冊に書こうと思っています。

さあ、どんな夏となりますか!心配な政治状況が続くと思います。読者の皆様に幸多かれと心よりお祈りを申し上げ、これを7月の院長挨拶と致します。どうぞお元気で!!

平成26年7月1日 院長 坂本貴史


2014年6月1日

6月(水無月)となりました。そろそろ梅雨がはじまる頃です。水無月とは、昔より農民の方々が、6月に入ると田んぼに水を張り、田んぼにお米の苗を植えはじめるので、川に水が無くなる頃ということで、6月を「水無月」と言うようになったと伝えられています。

今日でも、稲作はとても大切で、和食にとって何と言っても米が大きな地位を占めます。和食が世界文化遺産に認定され、今、世界中で和食が大人気で、欧米はもとより、お隣の韓国、中国、東南アジアでも和食のレストランが数多く出店されています。

さて、6月(水無月)は何と言っても紫の花の共演が見られる季節です。雨に濡れて、益々美しくなる紫陽花、あやめ、杜若が有名ですし、北海道ではライラックやラベンダー等がいっせいに花を開きます。

昔より紫と言う色は高貴な色とされ、宮廷や武士達が好んで諸々のものに使っていました。又、美人を表す表現で「いずれあやめか杜若」と言う言葉があります。

これは鎌倉時代にさかのぼります。源頼政が怪鳥を退治した褒美に菖蒲前と言う美女を賜るとき、12人の美女から菖蒲前を選択することを言われ、どの方も美女で甲乙をつけがたいという逸話からきています。

うっとおしい日本の梅雨の時期に、とてもうるわしい高貴な紫の花をつける植物はとても貴重ですね。

そうそう、紫陽花と言えば、お寺や神社の境内に数多く見られます。私の住い平塚からほど近いところに鎌倉がありますが、紫陽花で有名な明月院があります。私も高校時代によく友達と鎌倉のお寺巡りをしたものです。

その頃は文学青年を気取って、作家達の住いが数多くある鎌倉に好んで足を運びました。青春時代の良い想い出です。

鎌倉で私の好きな寺と言えば、何と言っても円覚寺をはじめとする「鎌倉五山」です。建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺が鎌倉五山に入ります。先述した源頼政の古事にちなみ鎌倉の神社やお寺にあやめや杜若が多いのかも知れません。

鎌倉時代に禅宗である臨済宗のお寺が鎌倉五山として、北条氏により選定されました。京都には、京都五山があり、南禅寺、天龍寺、建仁寺、妙心寺、相国寺という有名な禅寺があります。

読者の皆様で、禅宗に興味があったり、お寺が大好きな方々は、ぜひこの6月に古寺巡りをしてみたらいかがでしょうか!

京都は意外と観光客が少ないかも知れません。その代わりに、外国、特に欧米の観光客が多いかも知れません。最近は外国の旅行者は、古風な日本旅館に泊まり、懐石料理を好んで食べるそうです。

これは和食が世界遺産に指定された効果でしょうか!やはり古都、京都、鎌倉はいつになっても素敵ですね。きっと紫の花が皆様を出迎えてくれることでしょう。

これを6月(水無月)の院長挨拶と致します。

平成26年6月1日 院長 坂本貴史


2014年5月1日

5月(皐月)となりました。5月は日本に於いては一番清々しい爽やかな季節です。若葉が目に眩しく、空はぬけるような青空で気分がとても爽快な頃です。

昔より「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」と旬を表す言葉があります。江戸時代には、江戸っ子の亭主が嫁さんを質屋に入れて美味しい初鰹を食べたいという逸話さえあります。当時は旬の初鰹は貴重な食べ物だったのでしょう。

5月の上旬には端午の節句(子供の日)があります。子供達も友人や親達と一緒にこのゴールデンウィークを楽しむことでしょう。

話は変わりますが、先々月3月24日は今の関門海峡付近にある壇ノ浦で、あの有名な源平の戦いがあり、源氏が平家に勝利した日にあたります。年号は1185年です。

我々は学校の授業では、鎌倉幕府は1192年に出来たと教わりました。「いい国つくる頼朝さん」と語呂で年号を憶えたものです。

しかし実際は源氏が平家を滅ぼした1185年を鎌倉幕府がおかれた年とする説が有力で、最近では鎌倉幕府設立を1185年と教えているそうです。

1185年に源氏に敗れた平家は敗走し、まだ幼子であった安徳天皇が入水し、崩御なされたという悲話も今に伝わっています。

源平の合戦の時、源氏の軍団は白旗を持ち、平家の軍団は赤旗を持ち戦いました。これが紅白の合戦の起源です。

学校の運動会等の紅組、白組や、大晦日のNHK紅白歌合戦も源平の合戦からきています。端午の節句は本来男子のお祝いで、鎧、兜を部屋に飾り、強く、健康に育ち、世に向かって力強く生きるように空に鯉のぼりをかかげます。

私も子供の頃、我が家の小さな庭に柱を立て鯉のぼりを飾ってもらったことを想い出します。読者の皆様も端午の節句(子供の日)には、いろいろな想い出があると思います。

ゴールデンウィークの難点は、ものすごく交通機関や道路が混雑することと、観光地が人の山となってしまうことでしょうか!

将来はゴールデンウィークを分散させるかもしれませんね。とにかく、青空のもと思い切り連休を楽しんで下さい。しかし、休日を楽しめない子供達も数多くいることも我々は知っておく必要があります。

この社会が、活力があり、汗水流して努力する人々が報われるようになって欲しいとつくづく思います。世界の子供達が平和で貧困から救われるのはいつのことでしょうか!!国連のユニセフの活動だけでは不十分です。

日本でも難題は山のようにあります。子供を取り巻く環境はひどく悪化しています。子供たちの笑顔でいっぱいの世界にしたいものです。教育も等しく受けられることが大切です。そして、日本国憲法にも記されている文化的な生活の保障も大切なことで、政府も遵守しなければなりません。

最後に愛する世界の子供達に幸多かれと祈ります。これをもって5月の院長挨拶と致します。

5月1日 院長 坂本貴史


2014年4月1日

4月(卯月)となりました。西日本の桜の満開に続いて東日本の開花のニュースが聞かれる候となりました。今年はかなり寒い冬だったのに寒さに耐え、桜は見事に開花しました。何と辛抱強い花なのでしょう。

桜はバラ科に属し、原種はソメイヨシノと言うことです。ソメイヨシノと命名されたのは諸説あって、その一つが染井村に、吉野にある桜を植えたところ見事に咲いたので「染井吉野」と名がついたという説もあります。

桜は文献によると「古事記」に、もう記されています。平安時代には桜の花見は貴族達の楽しみに限定されていたそうです。

庶民が桜の花見をするようになったのは、江戸時代からで昔の桜とは山桜で通常私達が見る桜と違い、山桜は葉と花が同時に萌出します。

「ソメイヨシノ」が全国で見られるようになったのは明治時代からのようです。桜は満開になるまで、何とか散らないで人々を楽しませて、散り際はとてもいさぎよく一斉に散ります。

花の散りかたがいさぎよいので、「武士の最期の責任の取り方にたとえられます。「武士の生き方は何と気持ちのよいことでしょうか!」「武士は死ぬことと見つけたり」ということばまであります。

それに比べると、東日本大震災に於ける東京電力の原子力発電所の崩壊について、誰が責任をとったのでしょうか!!未だに誰も責任をとっていません。

国会議員達の政治資金の不正について自ら責任を感じず、何たる世の中でしょうか!!

食品偽装の問題、JR北海道の事故の不正の問題、NHKの会長の失言と人格問題、とにかく今の日本は最高責任者が責任をとって職を辞することを全くしなくなってしまいました。

この無責任さは、以前の日本にはなかったことです。何が無責任時代を作ったのでしょうか、それは平成頃から生来持つ日本人のダークがかった人は許すという性格に起因します。

最近はブラックな人でも責任を取らせることをしません。最近で最も感じた事件は、東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の完全崩壊について、原子力ムラの経済産業省の官僚達や東京電力の経営責任者は誰も責任を取っていません。

まさしく散り際の悪い人間達です。もう一度、明治、大正、昭和の時代に生きた日本人の責任の取り方を、今一度勉強するべきです。

さてさて、乱れたこの世を正すのに、江戸南町奉行の大岡越前忠相や天下の副将軍の黄門様に手伝ってもらうしかないのでしょうか!何と淋しいこの現世になってしまいました。

そう考えつつ今年の4月を迎えました。これを4月の院長挨拶と致します。

平成26年4月1日 院長 坂本貴史


2014年3月1日

3月(弥生)となりました。2月は観測史上記録的な大雪が日本列島を襲い全国的に大きな被害が出ました。45年ぶりの大雪に都心部だけでなく、山間部も大きな被害を出しました。大雪で被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
又、災害で犠牲になられた方々に慎んで哀悼の意を表します。

さて、3月は人生の岐路に立つ季節とも言えます。保育園、幼稚園、学校、大学、職場と新しい出会いと、別れが同時にくる季節です。

不安と希望を持ち入園、入学、入社、また逆に淋しさと安堵を感じつつ、卒園、卒業、そして退社、退職と様々に人生が変り大きな転機を迎える時期です。

よく、人生は山登りにたとえられます。山麓から山を登り始め、苦しい道のりを経て山頂へ到達。そして、頂上での短い時間を楽しみ。今度は山下りです。

学生時代に登山をしていた私は、山の登りは苦しくても、「頂上がある!苦しくても頑張れ!」と自分の心に言い聞かせ頂上に辿り着き、その爽快感にしばし浸ります。

そして、次は山下りです。素晴らしい景色をお土産に山を下ります。人生の山下りをいかに楽しく、有意義にするかが、その人の人間としての生きざまではないでしょうか。

私の歳になると、会社や役所に入った仲間はそろそろ退職します。そして現役の時とは違い昔の仲間と会いたくなり、同窓会や仲間同士で会う機会が増え、学生時代の楽しさを再び思い出として心に刻みます。

人間はそうしてやがて死を迎え、又、いつしか生を迎えるのかも知れません。「一生を有意義に過ごすのはとても難しいもの」だとつくづく思う今日この頃です。

さて話は変わりますが、東日本大震災からまる3年、再び3月11日午後2時46分を迎えます。3年も経過したのに東北や北関東は復興どころか、復旧さえできないでいる地域が数知れずあるのが現実です。

この3年間、日本政府、とくに国会議員、官僚達は何をやってきたのでしょうか?税金で飯を喰っている人間の無責任さと無能力さに呆れるばかりです。

今こそ、東京電力の福島第一原子力発電所崩壊の深刻さと、その筆舌に尽くし難い被害を日本人全体が心に刻み、今後日本は原子力発電から足を洗う社会を作らなければなりません。

そして避難している方々が、再び人生への希望を持てるように日本国民全体が出来ることから努力すべきです。もはや国会議員や官僚達に期待するのは無意味です。

我々市民が何とか立ち上がり、被災した方々に対してへの援助を続けるべきです。読者の皆様も原子力発電の社会から決別することを、もう一度心に深く刻むことが肝要であると思う3月です。これを院長挨拶と致します。

3月1日 院長 坂本貴史


2014年2月1日

2月(如月)となりました。早いもので1月(睦月)もはや終わり一ヶ月があっという間に足早に過ぎてしまいました。2月といえば、すぐ節分が来ます。昔から「鬼を払い、福を招く」と言うことで豆まきの行事が行われているのはご承知の通りです。

我々は、「鬼は外、福は内」と家の窓を開け大声を出して叫びますが、どうも宮中では少し勝手が違うようで、天皇陛下自ら執務室の窓を開け「福は内」と外に向かって叫び、「福は内」と執務室の中に豆をまくそうです。

なぜなら、日本の国民には鬼などいないと言うことなのだそうです。私も最近は宮中のまねをして窓を開け「福は内、福は内」と豆をまくことにしています。

皆様の御家庭や職場でも今年の豆まきの時はこの方法で試されたらいかがですか!

さて、東日本大震災の発生から来月で3回目の3月11日午後2時46分を迎えます。我々関東西部に居るものは、テレビの恐ろしい津波や災害の映像を身を震わせながら、ただ呆然と見ているだけでした。

特に家族、親戚、知人の方々を震災で亡くされた方々の心中を思う時、いまだ胸が痛みます。とても信じられない現実が本当に起きてしまったのです。

あれから3年も経過したのに被災地の復旧、復興は全くと言っていい程できていません。日本政府、官僚達、国会議員達の無能さと無責任さは筆舌に尽くし難いものがあります。

税金で飯を食っている連中の恐ろしいまでの無責任さは、どこから来るのでしょうか!日本という国は市民革命というものを経験したことがなく、庶民を主権とした民主主義が構築出来ていないのが最大の原因です。

そもそも、日本国の国としての形成からして、民主主義の土台を持たずに来ました。明治以降も一度は、坂本龍馬を中心に庶民の国を作ろうと試みましたが、やはり、?長にそれを阻止され官僚制度で国づくりが始まりました。

今現在に於いても官僚にコントロールされた安倍晋三政権は戦後歴代の内閣で一番恐ろしい政権だと感じます。

国民から、福祉を取り上げ、格差社会を積極的に作り、大企業を優遇し、中小企業を無視し、政治家を大切にし、官僚達を大切にし、挙句の果てに言論統制をねらった特定秘密保護法を制定するなど独裁政治を続けています。

自民党の良識派はどうしたのでしょうか?何を従っているのでしょうか?以前の自民党にはハト派、中間派が大きな存在としてタカ派にブレーキをかけてきました。

今や公明党も安倍政権のブレーキ役を放棄してしまいました。また、野党達もだらしがありません。いったい日本はどうなってしまうのでしょうか。心配しているのは、私だけではありません。

安倍政権の恐ろしさを自民党員でも分かってきた人々が多数います。今こそ我々のような無党派層の存在が大切な時ではないかと思います。

やはり、日本にも安倍政権という鬼がいました。今年の節分を迎えるにあたって、私が一番気にかけていることを勝手に語ってしまったことを、どうか御容赦下さい。

皆様、平和と自由と共助の精神を大切にしようではありませんか!これを2月の院長挨拶にかえさせて頂きます。

平成26年2月1日 院長 坂本貴史


2014年1月1日

読者の皆様、明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって穏やかで、幸多き年でありますように心よりお祈り申し上げます。

さて、昨年を振り返りますと、地球温暖化の影響の為か、大災害が多かったように思います。全国的に豪雨、強風等が度々襲いました。その結果、家屋の崩壊や崖崩れ、大洪水となり多くの人命を奪いました。

我々は昔より大自然の驚異を受けて生きてきました。しかし、地球温暖化が凄い速度で進み、我々の生活する地球が壊れています。世界的な視野で人類は地球温暖化阻止することにたゆまなく努力することが、今こそ肝要なことです。

さて、平成23年3月11日におこった東日本大震災より早2年9ヶ月が経過しました。被災地を見ると、復興と言うより復旧も全く出来ておらず、東北の人々は今だに生活に苦しみ、生活の再建が出来ないでいます。

この間、政府は何をしていたのでしょうか、無能な国会議員達や無責任な官僚達の怠慢はひどいものです。東京電力福島原子力第一発電所の崩壊はいまだに人々に恐怖を与えつづけています。

これを何とか乗り越えることが、日本国にとってそこに住む住民の方々への役目であり、世界に対して重い責任です。

昨年は、日本の進路を戦前の状態に回帰させる、危険な法律が相次いで制定されてしまいました。国家安全保障会議(NSC)の設立や特定機密保護法をはじめ多くの関連法です。
これは世界に約束した、平和日本を守ることが出来なくなるかも知れません。平成26年新年はどうにかして日本の進路を、平和を希求する日本へ戻さなくてはなりません。

今年は戦後民主主義を庶民のものにし続ける勝負の年です。このことを肝に銘ずる正月です。どうか、今年も平和な世界であることを願わずにはいられません。

平成26年1月1日元旦 院長 坂本 貴史


2013年12月1日

12月(師走)となりました。あっという間の一年という感じがします。これも私が歳を重ねてきたからでしょうか。

あれほど、今年の夏は猛暑であったのに、もう木枯らしが吹いて冬に突入の感さえあります。地球温暖化は恐ろしい程、急速に進んでいます。

先日のCOP19でも温室効果ガス、いわゆる、CO2の削減目標は、日本は恥ずかしい程下げ目標を3.8%と下降修正しました。

先進国といわれる日本国としては、とても恥ずかしいことです。これは地球人70億人の生命に関わる問題なので極めて深刻に考えなければなりません。

さて、もう一つ私が一番恐れていた特定秘密保護法案が、衆議院本会議で強行採決されてしまいました。これはとても国民、庶民にとって恐ろしい法律で平和憲法にも抵触しますし、この国の民主主義の危機です。

国民の全く知らないところで審議され、蜜室で修正を繰り返す国会議員の神経はどうなっているんでしょうか?すべての国家機密を官僚に握られ国民の知る権利をおびただしく阻害し、報道の自由も危機的状況となります。

新聞社や著名なジャーナリスト、作家、学者、消費者団体、労働組合、等々、数えきれない数の団体、個人がこの法案に反対しています。

なぜ、今、この時期に政府や与党が成立を急ぐのでしょうか?何か特別な意図が必ずあるはずです。とにかくそれを明らかにするのがまず先決です。

とにかく、国民運動を起こし、参議院でこの法案を廃案にしなければ、我々庶民は国家の秘密という理由で言論の自由、結社の自由、行動の自由を奪われます。このことを読者の皆様も真剣に考えられることを切に希望致します。

時節柄、大変気象が変化するので、読者の皆様に於かれましてはくれぐれもおからだをご自愛下さい。

とても政治的な文となりましたが、今回はご容赦いただいてこれを12月の院長挨拶と致します。

12月1日 院長 坂本貴史


2013年11月1日

11月(霜月)となりました。朝、夕はだいぶ肌寒くなってきました。やはり季節は変わり行くものですね。紅葉も山々から里、そして町へと足早に降りてきます。

私は学生時代に日本中の山々を登ってきたので、いろいろな場所の紅葉を見てきました。ひときわ、私を引きつけたのは、谷川岳と、北海道の大雪山の紅葉の美しさです。この美しさは、自然の恵みというべきでしょう。

さて、町に目を転じると、紅葉の素敵な町が日本国中たくさんあります。その中でも、何と言っても特筆すべきは京都の紅葉だと思います。京都の山々や神社、寺院の紅葉はとても素晴らしいと思います。

私の好きな紅葉の名所は、仁和寺、等持院、東福寺、正伝寺、蓮華寺、泉涌寺と名をあげれば、枚挙に暇がありません。

「京都はいいですね!いつ行っても」と私はつくづく思います。「雅」という言葉が一番似合うでしょう。何もかもが近代的になってしまう昨今ですが、昔ながらの町並み、風景がそのまま残っている場所として京都はとても貴重ですね。

全国には小京都と呼ばれる都市がいくつかあります。東北の小京都は盛岡、そして喜多方、長野には高遠、山陰には萩、津和野といったところでしょうか。

行楽の秋と言いますので、読者の皆様も「再びの旅」へお出かけになったらいかがでしょうか。

話は全く変わって大変申し訳ありませんが、今、国会では、政府からとても問題である法案が提出されています。国家の秘密を永久に開示しない秘密保護法案と、集団的自衛権の見直しです。そして、社会保障の大幅な改悪です。

この法案の行方しだいでは、日本国は全体主義的な国家に向けて歩みはじめる危険があると思います。日本は今まで第二次世界大戦以降、平和であったのは、日本国憲法のおかげです。

アメリカの押しつけだろうが、日本人が関与していようが関係ありません。我々日本国民が世界に誇れる平和憲法です。

我々は、世界に於ける日本の立ち位置を真剣に考えるべき時です。

私は、どこの政党にも入っていない、平和を愛する一庶民ですが、この問題について読者の皆様はいかがお考えでしょうか?

秋の夜長にこれからの日本国はどのように進んだら良いか考えようではありませんか。これを11月の院長挨拶に変えさせて頂きます。

11月1日 院長 坂本貴史


2013年10月1日

10月(神無月)となりました。夏から続いた強烈な猛暑も、やはり10月ともなると終わりを告げ、朝や夜はめっきり涼しいと言うか寒ささえ感じるようになりました。

さて、去る9月7日の早朝、7年後、つまり2020年のオリンピック、パラリンピック開催地が東京に決定しました。

私もその決定の瞬間は、とても嬉しくてしょうがなかったですが、すぐに、ブエノスアイレスにて、IOC委員全員の前での日本のプレゼンテーションの中で、安倍首相が壇上に立ち、福島の原発事故の汚染水問題で「現況は、汚染水は原発の0.3平方キロメートルの範囲で放射能がコントロールされている」と発表したのです。

日本国を代表する首相が不確実な事を発信して良いのでしょうか?毎日、毎日、メディアから発信されるものだけでも、次から次と汚染水の漏出が続いています。

毎日1000トンもの地下水が福島原発の地下に押しよせているのです。首相の発言は、日本のみならず、世界のすべての人々へのメッセージとなります。

このような不確実な発言をする首相の考えは全く理解できません。そう思った人々も世界中に数多くいると思います。

確かに、オリンピック、パラリンピックは、日本の人々、とくに子供や若者達をはじめ多くの世代の人々に夢と希望をあたえることは、私も充分に承知しております。

しかし、2020年、7年後に福島の原発がどうなっているかを考えると、よろこんでばかりにはいきません。とても、日本をはじめ世界中にとって不幸な大事故です。

これは、東京電力の怠慢にとどまらず、大いに政府にも重い、重い責任があります。政府は原子力発電の推進を安全だと思いこみ、何十年もの間、その政策を続けてきました。

それは東電も同じで、安全神話に酔ってしまったのです。何とか世界の英知を集め新技術を開発し、この汚染水をはじめ、廃炉の問題を一歩も二歩も進めることを期待するのみです。

東京電力を解散させて、まず、国営化し、すべての原子力発電所も国営化することが、良いのではと思います。

話は変わって、例年お話ししていますが、10月を神無月というわけは、この月に全国中の神社の宮司さんが、山陰の出雲神社に集まり、今、結婚を考えている男性達と女性達がほんとに結婚して良いか、悪いかを、審議をし、その期間が一ヶ月にわたります。

なので、全国の神社の宮司さんは自分の神社を留守にするので、10月を神無月と言ったと伝わっています。

結婚をお考えになっている方々はぜひ今、とても人気のある特急寝台電車の「サンライズ出雲」号で、出雲大社を訪れてみてはいかがでしょうか!!結婚をお考えの女性達も多くお詣りしているそうです。

挨拶が大変長くなってしまいました。10月に入って私が今、感じていることをお話ししました。これをもって10月の院長挨拶にかえさして頂きます。

10月1日 院長 坂本 貴史


2013年9月1日

9月(長月)となりました。例年になく今年の夏は異常な猛暑と強烈なゲリラ豪雨が、日本海側の地域を度々襲っています。

昔は「暑さ寒さも彼岸まで」と言ったものですが、たぶんお彼岸になっても、この異常気象が続きそうです。

毎年毎年、一年間を通しての平均気温がかなりの早さで上昇していますし、海水温も世界的に上がってきていて、アラスカやグリーンランドの氷河や流氷が、とけて崩壊し、動植物の生態系に大きな異常をもたらしています。

これは、まさしく地球温暖化が原因です。最近、世界の国々、特に日本国ではCO2削減、温暖化阻止の話を聞かなくなりました。

どうも、経済最優先で、CO2削減に消極的な起業家、政治家、官僚が多数をしめてきたのではないでしょうか。

やはり、ここは原点に立ちもどって将来の人々の事を考え、地球温暖化阻止に向けてもう一回、国民運動をする必要性を切に希望するようになりました。どうも、経済産業省と環境省の官僚達の争いらしいです。

話は全く変わりますが、昔は9月9日は、「重陽の節句」と言って盃に菊の花びらを浮かべ、月明かりの中、人々は酒を酌み交わしたと伝えられています。

その昔は何と優雅だったのでしょうか!現在の日本国に立ち返ってみると、完全に社会がIT化され、又、世界中がIT化され、グローバル化がすごい速さで進行しています。

アナログは排除され、デジタル化に社会が転換してしまいました。人類はIT化により、自らを忙しくし、よく働き、仕事、仕事に追いまくられる毎日をおくっていて、昔のようにゆっくり読書や芸術にいそしみ、心に余裕を持つことがとても少なくなっています。

これでは、創造力を持った若者が育つわけがなく、企業の歯車になっています。かなり昔にそれを予言した「チャールズ・チャップリン」の映画を思いました。

猛暑とは言え、少しは秋に近づいてきて、夜の時間も長くなってきます。どうぞ読者の皆様も少しパソコンからはなれ、スマホからはなれ、読書、芸術等を楽しむ余裕を何とか持って下さい。「忙中閑あり」です。

日本国がどうか平和な国であり続けるように皆さんともう一度「はだしのゲン」という漫画を読みかえしましょう。これを9月号の院長挨拶と致します。

9月1日 院長 坂本貴史


2013年8月1日

8月(葉月)となりました。全国的に今年は昨年よりひどい猛暑の毎日が続きます。又、昔はなかった局地的な豪雨により大きな被害を東北や中国地方で出しています。

いつまで、異常気象が続くか心配です。これも確実に地球の温暖化によるもので、犯人は人間です。何とか、CO2を減少させるよう、我々の生活パターンを変えることが必須です。

これは、世界各国で真剣に取りくむ問題です。最近は、CO2削減があまり議論とならなくなったのは、人間のエゴイズムです。もう一度原点にもどって考えることが必要です。

さて、8月といえば、東北の三大祭りの開催月です。仙台の七夕祭り、秋田の干灯、そして青森及び弘前のねぶた祭りです。とにかく東北の夏の祭りは我々にとっても魅力でもあります。

読者の皆様もぜひ一度訪れることをお勧めします。私も学生時代、三つの祭りを訪れたことがあり、とても感激したことをよく記憶しています。

今、NHKの大河ドラマ「八重の櫻」が放送されていますが、我々は、もう東日本大震災のことを忘れかけています。

とりわけ深刻なのは、東京電力福島第一原子力発電所の崩壊の被害です。これは、これから300年以上続く、人類の生存に関わる大問題です。

日本人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「熱しやすくて冷めやすい」「人の噂は75日」と、とにかく、歴史や事件等、すぐに忘れてしまう困った国民性です。

原子力発電所の放射能被害は決して忘れてはいけません。まだ毎日、毎日、恐怖におびえている人々が何万人もいること、避難している方々が十数万人もいらっしゃることを、我々は肝に銘じておかなければなりません。

8月のお盆の月でもあります、東日本大震災で犠牲になられた方々の御霊が少しでもやすらかになるよう祈るばかりです。

お盆には、家族、友人の御霊と同様に、地震、津波で犠牲になられた方々の御霊にも、どうぞ手を合わせて祈りましょう。

話は又変わりますが、安倍政権となって、アベノミクスやらで、景気がよくなり、給料が上がり、物価が上がり、雇用が増えると言っている人々がいますが、そんな簡単にいくでしょうか。

15年以上にも及ぶデフレの状態を1〜2年でインフレにするとは、私は到底思えません。読者の皆様はいかがお考えでしょうか?

8月は諸々の料金が値上がっています。しかし、給料、雇用は全く改善していません。改善するどころか、悪くなっているのが現状です。

安倍政権はおごらず今一度原点に立ち戻り、政策を根本から考え直すべきです。参院選で議席では大勝しましたが、得票を見ると50%にも及ばず、野党の得票が多いことをもう一度、肝に銘じて欲しいものです。

今進んでいる、社会保障の大幅な改悪は到底容赦するわけにはいきません。これから3年間は国政選挙が多分ないと思いますが、国民一人一人が国政に参加し、監視する心が大切です。

少し堅い話となりましたが、戦後63年が経った日本国をもう一度考える夏にしたいものです。これを8月の院長挨拶と致します。

8月1日 院長 坂本貴史


2013年7月1日

7月(文月)となりました。早いもので、もう一年の折り返しが過ぎてしまいました。7月といえば、夏祭りのシーズンでもありますし、私の好きな、いや、好きだった登山のシーズンでもあります。

世界文化遺産となった、富士山も7月1日が山開きです。そうそう海開きもありますね。湘南の海岸も次々に海開きをしています。

私は海派ではなく、だんぜん山派です。真夏の山麓はかなり暑く重い荷物を背負っているので、高い山でも登りは汗が顔からしたたり落ちます。背中等は汗まみれで汗の塩分が登山服にしみこみます。

これはいくら洗濯してもとれません。山登りの人達の勲章みたいなものでしょうか!途中がどんなに苦しくとも、山頂に立つと全身に冷風が吹き、筆舌に尽くし難い達成感があります。

この爽やかな感じが登山の醍醐味でしょう。登る時はあんなに苦しかったのに、山頂に到着すると、次はどこの山に登ろうかと考えるのは、私一人ではないはずです。

登山は登りより下りの方が危険で体力もかなり使っているので細心の注意が必要です。とくに浮石がとても危険です。雨、風は体感温度を急激に低下させます。

ともあれ、全国の山々を登り縦走したのが素晴らしい思い出になっています。今は、若い時、使っていたピッケルもサビが出ています。アタックザックも何やら寂しそうです。

マナーをしっかり守って、装備をしっかりして、無理のない行程で登山を楽しんで下さい。とくに若者に登山を好きになってほしいものです。

今は、高齢者や女性のあいだで登山がブームですが、若い男子も負けずに山登りにこの夏は出かけて下さい。

ところで、話は変わりますが、今夏は大切な参議院選挙があります。日本をとりまく問題は国の内外を問わず山積みしています。

なぜか、与党、自民党は今のところ成功しているかにみえる経済政策のことばかり争点にしようとしています。私はどうもそれに違和感を感じるのです。

景気も雇用もまだまだ悪い状態が続いています。それに過度な円安の影響で7月から電気、ガス料金をはじめ、ほとんどの食料品がかなりの値上げになって、庶民の生活を直撃しています。

値上げラッシュの暑い夏となっています。この状態で消費税を上げたら、また日本の経済はリーマンショックの時の不況になる危険があると思います。

とにかく、安倍政権の方向性は、改革、改革と言いますが、小泉政権と同様に日本を格差社会に落とし入れる危険があると感じます。

重要な超少子高齢化社会、貧困者の増大、TPP、そして原発の問題、そして憲法改正の問題、どれをとっても重要な問題だらけですし、外交に於いても尖閣列島の領有権で対立している中国、竹島で対立している韓国、そして北方領土問題を抱えるロシア、沖縄の基地の問題を抱える米国、どれをとっても大変な日本の外交です。

とりわけ北朝鮮の拉致問題、核兵器の問題等、上げれば、枚挙にいとまがありません。国内問題にもどって、憲法改訂について少し考えてみますと、私は憲法第96条は絶対に改変させてはいけないと思います。

日本は世界に誇る立憲国家です。立憲主義というのは、国民主権の考えに立っています。国民が政府を監視するのであって政府が国民をしばるものではありません。

今の理想主義の憲法で何が悪いのでしょうか?私には現憲法でも、国民が憲法を変えようと思うなら変えられます。

憲法の改訂は高いハードルにしておくべきです。皆様もどうかこの夏の参議院選挙は、日本の未来がかかっているので、大切な一票をどこへ投じるのか深く考える夏にしたいものです。

少し話はかたくなりましたが、これを7月の院長挨拶と致します。

平成25年7月1日 院長 坂本貴史


2013年6月1日

6月(水無月)となりました。早いもので、もう一年間の半分に来たことになります。「この6ヶ月間、自分は何かできたのか?」と考えると、自責の念に駆られます。

人の一生とは、何か一歩ずつ前へ進まなければならないと思うのですが、実際はうまくいかないことが多いのも現実ですね。

ところで、6月のことを、「水無月」と言いますが、一昔は田畑に水を引いて田植えをし、田んぼに水を張ります。そこで川には水があまりないと言うことから、6月を「水無月」となったようです。

我々も久しぶりに郊外へ出て、田園に水がなみなみと引かれ稲の青々とした姿を見ると、何かほっとした感覚を覚えます。

我々の祖先は、農耕民族だったので田園風景を見ると妙に心が落ち着くのは、私だけでしょうか。

6月は「紫色」が映える季節です。町の生垣には、紫陽花が咲き、公園や湿地帯、池のほとりには、あやめや菖蒲、杜若が咲きます。緑と紫のグラデーションもとても素敵で、皆様を楽しませてくれます。

私も学生の時は、いつも近くの鎌倉の古寺を巡り、紫陽花の花をはじめ紫に染まる花々を楽しみました。紫陽花で有名になった明月院(北鎌倉)は、昔は人影もなく、拝観料もなく、入口に「志」と書いた古ぼけた小さな箱がひっそりと置いてあっただけでした。

もちろん、瑞泉寺も全く同じです。現在は人の多さに驚いて、もう鎌倉には近づかないようになってしまいました。

とにかく、梅雨のいやな季節ですが、雨の風情を楽しむ術を考え、この季節を乗りこえましょう。

ではこれを6月の挨拶とさせて頂きます。

平成25年6月1日 院長 坂本貴史


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