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資生堂、ライオンの出現

明治11年11月には、岸田吟香、守田治兵衛らによって米国処方「延齢散」「君カ袖」などが発売された。また明治23年には理学博士 長井長義の分析証明証付の「福原衛生歯磨石鹸」(煉歯磨)が福原商店(現資生堂)から売り出され、これは本邦最初の練歯磨で、海軍、特に軍艦用として採用された。

明治22年に日本で初めて建造した軍艦「回陽」にちなんで「回陽散」という名の歯磨が売り出されている。また明治24年には小林冨次郎が柳原に石鹸、マッチの取次店を開き、明治29年にライオン歯磨の名で歯磨を製造販売し、これが当って歯磨粉といえばライオンといわれるほどになった。

現ライオン株式会社である。なぜ売れたかは、当時商品に動物の名をつけることが流行し、ライオンは呼びやすく、また百獣の王であったからという。しかし、定価三銭の歯磨袋の裏に慈善券一厘(十分の一銭)がついていたことによるのではないかと思われる。

この頃、歯科医療器具を輸入していた有名な端穂屋商店(清水卯三郎)から「理化学を応用し、砂土石を用いず、酸類を避け、歯牙を健全美麗に保ち、口腔のばい菌を駆除し、能く歯科医術に適す。然も其馥郁たるを以て紳士令嬢の資に供すべし」という宣伝文句で「端穂散」が販売されている。

この他、クラブ歯磨(中山太陽堂)、ダイヤモンド歯磨など30種類以上に及んだ。明治44年頃、西洋処方歯磨の価格は小袋で一銭五厘、大袋で5銭位が平均で、ライオン歯磨は小袋三銭、大袋十銭位、福原資生堂の練歯磨が25銭位であった。当時ライオン小林商店の月額売上高は2千円位であったというから10銭の大袋に換算して2万袋である。

参考資料 長谷川正康著「歯科の歴史おもしろ読本」より

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