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総入れ歯のルーツは日本

古代人の入れ歯発見

昭和六年(一九三一)富山県氷見郡の畑の中から偶然に一個の石の入れ歯が発見された。重さ五・五グラム、比重二・七、硬度一・〇で、緑色の蝋石(ろうせき)を彫刻したものであった。

この入れ歯を発見した現場付近に、弥生式土器の破片があったことから、古墳から出土したものか、弥生時代のものか不明としている(発見者・堀謙蔵氏)。

また大正十四年(一九二五)高橋正之氏は、宮崎県児湯郡の古墳より発見した二枚続きの石製入れ歯を研究した結果、これはまさしく入れ歯をして使用されたものであると推定した。

それまでは、多くの考古学者は、曲玉(まがたま)などと同様な装身具として用いてきたものであろうと鑑定していた。実物は青黄色の蝋石で、重さ二・四グラム、比重二・八、硬度二・五で、糸を通す横穴があけてある。

この蝋石の左右両側に、同じように凹部かおり、歯列(しれつ)に嵌(は)めたとき、凹耶が左右の歯列に適合して勤かないようにしてあることと、開けてある穴の紐のとおし方が、曲玉のようにたんに真ん中を通してあるのでなく、左右両側の歯に結ぶに都合よくしてあるところから、これは装身具ではなく、入れ歯として使われたものと思うとしている。

この二個の石製入れ歯の年代からすれば、わが国では一二七〇年前、奈良時代(七〇八〜七八)の頃からすでに義歯の原始的なものがあったことになる。

世界最古の入れ歯はエジプト

世界で現存するもっとも古い入れ歯らしいものは、エジプトのギザの墓場で発掘された紀元前二五〇〇年頃のもので、歯の頭(歯冠)と歯の顎部に金線を巻きつけた二個の大臼歯であるといわれている。

またルナン探検隊の一員のゲイラルドが、古代フエニキアのシドン市(現サイダ市)の古墳で発掘した上顎切歯(前歯)と犬歯に金線で継いだ入れ歯で、紀元前四〇〇年頃のものと推定されているものが現存している。

これら入れ歯ようのものは、現在考えられているような噛む目的のためというより、審美的(エステティックス)な面が第一であった。

中国、韓国では

中国では、宗(そう)時代(九六〇〜一二〇八年)の詩人陸游(りくゆう)の詩の自注した部分に、「近聞するに、医で堕歯(だし)を補うを以て業とするものあり」と、書いてあるところから、宗(そう)、明(みん)の一〇世紀から一四世紀頃には入れ歯に類するものがあったらしい。

北京第一医院の周大成(しゅうたいせい)氏は、「しかし、それを証明する入れ歯が出現していないので何ともいえない」と述べている。

韓国では、十二世紀の中期から十三世紀のはじめのころ、中国と同じように、入れ歯のことを種歯(しゅし)、入れ歯することを歯種といっていたことが伝わっている。

しかし、韓国の考古学的方面から出土品として未だに入れ歯に類するものが発見されていないといわれる。李漢水氏、奇昌徳氏らは、それについてこのように述べている。

「韓国は、昔から儒教思想によって、入れ歯することが、きわめて卑(いや)しいことで下流階級出身者がするものと認識されていたためではなかろうかと思います。また、李朝時代、当時の王室の記録にも入れ歯についてのことは見あたりません」

以上のような経過からみて、わが国の入れ歯は、大陸からの影響はなく、独自に開発し、発展したものといえる。

また、前述の柳生宗冬、瀧澤馬琴、杉田玄白らの入れ歯のように、それらは現代の入れ歯(総義歯、局部義歯)がもっている機能とよく似た形態であり、使用した材料はちがっても、現代とほぼ同一水準のものが生みだされていたことは驚異的であるといわざるを得ない。

参考:歯の風俗誌 長谷川 正康 著

 

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