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お歯黒の起源

歯を染める風習

歯を染めて彩色する風習かおる。その彩色には黒と赤がある。黒色染歯はインド洋、太平洋沿岸各地の住民の間にひろく行われ、わが国も明治三年(一八七〇)までこの黒色染歯文化圏にあった。

赤色染歯は回教圏の一部インド諸族とアフリカ諸族の一部に行われているにすぎない。最近わが国の「お歯黒文化」が、むし歯予防の見地からも見直されている。

ここでは、わが国における黒色染歯、はぐろめ、はぐろみ、鉄漿(かね)、お歯黒などと呼ばれているこの涅歯(でっし)の風習を中心にとりあげる。

「お歯黒」は一二〇年ほど前まで、長い歴史を経てごく最近まで続いていた女性の風習であった。これが、いつ頃から始まり、何の目的で、どのような意義をもち、どのような変遷をたどって、わが国の社会文化に関わってきたか。

判然としないまでも、手がかりとなる文献を求めて迫ってみたい。

古典にみる「黒歯の国」日本

まず日本で最も古いとされる(九三八年)従五位上能登守源順(みなもとしたがう)著『倭名類聚鈴(わみょうるいじゅうしょう)』巻一四・五裏頁に「黒歯」として書かれている。

「文選という字書の注に云ふ。黒歯国(こくしのくに)、東海中にあり。その土俗、草を以て歯を染むる故に曰く。歯黒は俗に波久路女(はくろめ)と云ふ。婦人黒歯具有り。故にこれを取る」

それより以前の文献としては、中国の『魏志倭人傅(ぎしわじんでん)』である。

「女王国の東、海を渡る千餘里、復(ま)だ国有り、皆倭種(わしゅ)なり。又株儒国(しゅじょこく)有り、其の南に在り、人の長(たけ)三、四尺、女王を去る四千餘里。又裸国(らこく)・黒歯国有り、復(ま)だ其の東南に在り」

さらに『後漢書東夷列傅(ごかんしょとういれつでん)』にも、「黒歯国東海中に在り。其俗婦入歯を悉(ことごと)く黒く染む」とある。

以上のことから、わが国の女性が歯を黒く染めていたことがうかがえる。これらが「お歯黒」についてもっとも古い文献と恵われる。

『魏志倭人傅』が書かれたころは、わが国では、倭(わ)の女王卑弥呼(ひみこ)、および臺興(いよ)が中国の魏(ぎ)および西晋(せいしん)と交渉をもった二三九〜二六五年の頃に当たる。

「おはぐろ」についてもっとも詳細に述べている文献は、

山東京傅の弟、岩瀬京山の『歴世女装考(れきせいにょそうこう)』〔廿一の『御歯黒(おはぐろ)の起源(はじまり)』である。この中に、

「さて上古(じょうこ)に歯を染(そめ)たる一證(あかし)とおもふ一條あり」と應神(おうじん)天皇(ホンタワケノミコト)の恋歌をとりあげて、女性の黒色染歯(せんし)の風俗が当時はあったと述べている。

この恋歌は長いので、黒歯とかかわる部分のみ現代文にかえて紹介しよう。

木幡(きはた)の道で、出逢(あ)った乙女
後ろ姿は、すらりとまっすぐに伸びて
歯並びは、椎(しい)や菱(ひし)の實(み)のように

お歯黒した歯の艶やかな光沢を「菱(ひし)の實(み)のようにつややかで」とたとえて褒めたたえたのではないかと京山は言っている。

かりに推や菱の実のように尖った鰐(わに)の歯のように(削歯)、というのであれば、いかに顔が美しくとも、天皇のみ心にかなわず、鬼娘かと逃げてしまわれるにちがいない。

お歯黒は大和朝廷の時代(二七〇年)、古墳文化の頃からあった、としている。京山はさらに推理を展開する。

應神天皇より四代前の景行(けいこう)天皇の御代(七一〜一三〇)、熊曾(くまそ)(熊襲(くまそ))建(たける)を征伐のため小碓命(おうすうのみこと)(日本武尊(やまとたけるのみこと))は父天皇の命によって、一人で彼らを討(う)ちに行った。

そのとき一六歳であった。女子の服飾になり、また、髪も乙女のように結(ゆ)いかえたと、古事記には詳細に書かれているのに、黒歯したということが書かれていない。

もしこのころの婦女に黒歯の風習かおるなら、酒宴の席であるならば、女性に変身したからには、必ず歯を染めていたであろうし、古事記にもそのことが書かれているはずである。

そのことから推量すると、小碓命(おうすうのみこと)の時代は黒歯する風習はなかったのであろう、というのである。

お歯黒の研究者の多くの人たちも、應神天皇の恋歌をお歯黒の文献上の初出のものとしているようである。古墳から出土する埴輪(はにわ)にもお歯黒したものがあるのは、それを裏づけるのではなかろうか。

参考:歯の風俗誌 長谷川 正康

 

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