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「赤穂の塩」と「吉良の塩」は歯磨剤の分野での商売仇

当時、将軍は毎朝六ツ半(七時)に寝所を出る、そして、御手水(おちようず)の間で畳の上に「毬子(だんつう)」(あて字段通=綿、麻、羊毛などを交ぜ織り、模様をつけた厚い敷物用織物で、インド、ペルシア、中国が原産)を敷いた上に座って顔と歯は自分で洗った。

歯は奥詰口中医の調合した歯磨粉、焼塩、細粉した松脂(まつやに)の三種類を小皿にのせたものをこの時の気分で好きなものを選んで房楊子につけて磨いた。その後、髪を結い、袴をつけ仏間を拝し、朝食を摂った。

この将軍が使う焼塩として赤穂の塩が、五代将軍綱吉にも献上されるに及んで、江戸でも有名になった。赤穂の塩がお上御用達となると、困ったのは行徳と吉良の塩である。行徳の塩は、まだ江戸庶民用だから問題はないが、吉良の塩は、焼塩として歯商用にも使われていたので、赤穂の焼塩、塩の進出は商売仇の出現を意味した。

このような状況下で、元禄十四年、浅野長矩に二度目の勅使接待役が廻ってきた。この接特設指導役が高家吉良義夫であった。両家に経済上の対立がおるとき、吉良の浅野に対する感情は唯ならぬものがあり、何か触発するものがあると不慮の事態を引き起こすことは至極当然といわねばなるまい。

元禄十四年三月十四日、巳刻(みのこく)(午前十時半)松ノ廊下(正しくはお成廊下=白書院前廊下)で浅野長短が吉良義央に刃傷に及んだ。

俗説に両家の感情のもつれは吉良への付届けが少なかったので、吉良が接待の仕来りなどを意地悪したように伝えられているが、長短は大和三年(一六八三年)十七歳の時一度経験しているので仕来りは十分知っていたはずである。

それよりも、元禄当時、高家指導役には「お世話料」として馬代金十両(大判一枚)に巻絹を添えて挨拶するのが礼儀で、これは決して賄賂(わいろ)というものではなかった。

このとき、長短は巻絹だけ待って挨拶に出向いたといわれ、この点は、長短が清廉潔白というより吝嗇(りんしょく)であったのではないかと考えさせられる面かおる。こんなことで両家は感情的になった。

また、長短は生来大変短気で、その原因が持病の「痞(つかえ)」(偏頭痛もち)で、勅使接待で神経を使い持病がひどくなリ怒りやすい状態にあった。特にこの病気は天候にも左右される。

勅使を迎えた日(十二日)は雨で、十三日が曇天、刃傷に及んだ日も曇天であった。このような状況下で、心身共に疲労した長短は前後の見境もなく、発作的に刃傷に及んだのが真説であろう。

元禄十五年十二月十四日、赤穂浪士の吉良邸討入りがあった。その中に加わった堀部安兵衛武庸(たけつね)、大高源五忠雄らが歯磨粉や歯磨用焼塩を商った有名な芝の兼康祐見の看板を書いたり、また大高源五が江戸麹町五丁目口中医小野玄人(弟)の金看板を書いたりしたのも、何かの因縁があったのかもしれない

参考:歯の風俗誌 長谷川 正康

 

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