ホーム プロフィール 趣味 おもしろ大辞典 ボランティア 心ある歯科医は吠える 坂本歯科医院のホームページ

文化人が作ったオリジナル歯磨粉

商品として売られている歯磨粉の材料については、房州砂(白亜・ハクアク)、滑石(タルク・タルカン)が使われていたことがわかったと思う。

しかし、江戸時代の有名人や文筆家達は、自分の好むものを工夫して自家製のものをつくって用いていた。

文筆家の松亨金氷(しょうていきんすい)は「私は、昔から朝夕歯磨を用い、歯の白く滑かになるのが気持がよいと思っていた。それが三十四、五歳で、すでに二本の歯がなくなった。

その後、残りの歯が悉くゆるくなるのを覚えてきたので、或る人にこれを見せたところ、これは歯磨を用いた弊害であるといわれ、それ以来、塩をもって磨くようにした」と、市販の歯磨粉の使用をやめ塩にかえたことを書き残している。

また、「南総里見八犬傅」で有名な瀧澤馬琴は「嚥石襍志(えんせきしうし)」の中に養歯の法として、自家製歯磨粉の製法とその効能を述べている。

「黒い蛤(はまぐり)の内を去り、殼の一方の貝に塩をつめ、他の殼には飯(めし)をつめ、合せて火の中に入れ、焼きつくした後、搗(つき)砕き、毎朝これをもって歯を磨けば、よく口熱を去って、老後に歯を脱することはまれである」と、貝殻のカルシウムと焼塩を利用している。

また、蛤がなければ「青竹を五、六寸に截(き)りとり、筒の中へ塩をつめ、筒ともに焼いて搗砕(つき)いてもよい。

さらに、松の葉に塩を混ぜて燻(いぶす)のを松葉塩といい、赤色の螺(たにし)の殼に塩を入れ、ハコベの汁を注ぎ、これを炭火で焼き、冷えたものを薬研(やげん)(薬などを細砕する道具)で細かくし、絹篩(きぬふるい)でこしたものがよい。

しかし、蛤で製しかものが一番よい」といっている。馬琴は、自著の中に、香(や)具師(し)の口上を借り「この磨き歯薬は世に多くある房州砂を用いていない。

寒水石を打砕き水に浸し細末にして、これに丁字、龍脳、肉桂、乳香を加えて製す。寒水石は石膏なり。味辛く毒jない。

たとい、その汁液を呑んでも大益あるも小損なし。かの房州砂の歯を損じ、脾胃(ひい)に害ある類ではない」と寒水石(石膏)を主剤とした歯磨粉を紹介している。さて、主剤に加える外来香料は大変高価であることはすでに述べた。

歯磨粉の売価は明和(一七六四〜七一年)頃、高いといわれた近清香(きんせいこう)が銀一匆二分(ふん)(約一ニ○文)で、嗽石香(そせきこう)二袋入一箱(徳用)七十二文。

式亭三馬の歯磨が箱入四十八文である。この価格では高価な香料を混合できるわけがない。しかし、商売には裏があった。龍脳、丁字、麝香を入れてあった空箱には、当然、それぞれの香がしみ込んでい
る。

この中に主剤の粉末を入れ密封保存して匂いをつけたのである。したがって、文化、文政の頃、一袋が六〜ハ文の歯磨にも、それぞれの香料の匂いがついていたのである。

瀧澤馬琴は、明和四年六月九日、武士の子として深川に生まれた。二十二歳(天明八年、一七八八年)で医道を志し、医師山本宗洪に入門、医号を宗仙といった。

二十四歳の寛致二年(一七九〇年)に山東京傅を訪れ、そのときから文筆業に入った。しかし、文筆だけでは生活できず、寛致五年(一七九三年)飯田町中坂下の履物商伊勢屋曾田(あえだ)の寡婦お百に入夫し糊口をしのいだ。

彼は、その間に文筆業と医師の経験を活かして、自家製の婦人血の道「神女湯(しんにようとう)」、「奇應丸」、万能毒消薬「熊胆黒丸子(ゆうたんこくがんし)」などを売り出した。

彼は自家製の歯磨粉も何種類か売り出し、自分でも使用していたが、歳五十にして総入れ歯になった。彼の総入れ歯は牛込神楽坂に往む入歯師吉田源八郎がつくったことが日記に書かれている。

歯科の歴史おもしろ読本
著者 長谷川 正康

 

おもしろ大辞典へ戻る


E-Mail: takafumi@sakamoto.or.jp

ホーム | プロフィール | 趣味 | 面白大辞典 | ボランティア | 歯科医は吠える | 坂本歯科医院