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音楽雑記帳 その4

ウイーン一人旅
 4月27日(水)JAL415便ローマ行きのシートにおさまったのは、午後9時30分頃であった。ふりかえると久しぶりのヨーロッパ、確か12〜3回目を数えると思う。良く何回も飽きずに訪れたものだと自分ながら感心しています。出発の15分前まで、石津会長と、会務の連絡をとり合っていて、何と
旅支度の時間は30分程度しかなく、ダークスーツ1着とタキシードをつめ、黒のシューズも2足、トランクの中へ押し込み、あわてて成田へ向かったのであった。成田空港は、ゴールデンウイークのはじまりでもあり、大変な混雑で、ハワイ、グアム、サイパン、シンガポール、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカ西海岸、ニューカレドニア、フィジー等々、若いグループや新婚らしいカップルでごった返していた。しかし、ヨーロッパとなると、そのツアー客の数はずっと減ってしまう。やはり、ヨーロッパは遠いということなのか。途中給油の為、アンカレッジに立ち寄り、又、コペンハーゲンに向けて離陸、ヨーロッパの旅はここからが長いのである。コペンハーゲンの空港は、ヨーロッパ北回りの玄関口だけあって、そのスケールの大きさと、センスの高さはヨーロッパの数ある空港の中でも1ないし2番を競う質の高さのように思う。空港内には、ブティック、ショッピングアーケード、床屋、シャワーのサービス、仮眠室、清潔なトイレ、洗面室、と至れり尽くせりである。旅行者にとっては、天国のような空港である。待ち時間の3時間程度はあっという間に過ぎ、ウイーン行き9時40分の出発時刻となった。ウイーンには定刻の11時ジャストに着き、早速、シャトルバスでウイーンの中心街で銀座通りであるケルントナーストラッセのホテルアストリアにバック、トランクを置く。シャワーを浴びて、まずは町の勘を取り戻す為、一人ぶらぶら散歩をはじめたのであった。とにかく驚いたのは5年程度前に訪れた時と、街は何も変わってないことである。勿論、若い女性のファッションは日本よりも進歩的に見えるし、店の中のレイアウトは「ナウイ」けど建物は昔のまんま、何百年以上は前のものばかりであろう。唯一目につく変化は昔の外壁の跡である。リンクの外に地下鉄工事がはじまっているぐらいである。さすが、ヨーロッパ社会資本の投下を何百年続けていることで、あえて下水道や、電気工事等は無用である。さて第一日目の夜は少々疲れているので、ベッドの中に入ろうかと一度は思ったが、日本人の悪い癖で、せっかく音楽を聞きにここまで来たのだから、という考えになってしまいホテルのコンシェルジェに今夜、どんなコンサートをやっているか尋ねると、どこもいっぱいで、ただ一つ、コンサートホールの中のモーツアルトホールで、ホーフブルグ宮殿オーケストラの「ウインナーワルツとオペレッタの夕べ」の券があるとの旨、早速買い求めて徒歩で10分ぐらいのコンサートホールへ出かけた。コンサートホールは、あの世界的なウイーンフィルハーモニーオーケストラの本拠地であることであまりにも有名である。モーツアルトホールは、600人定員程度の小さなホールで、ヨハンシュトラウスのワルツや、ポルカ、楽しいオペレッタからの名曲を何人ものソリストが出て、歌う華やいだものであった。日本人のソプラノ歌手根津さんも出演なさっていた。舞台と観客が一体となって、素晴らしい雰囲気を見事につくりあげるのには、感心させられた。ぼくの席の隣りはベルギーのブリュッセルから遠足できているとても美しい女子高生で、彼女にとって、日本とはあまりに遠い、東洋の小国であるらしい。しかし、ハイテクを中心とした工業国であることは知っていた。私が「日本の国は富めど、民は貧し」と言っても英語力の無さか、なかなか理解してもらえなかった。ヨーロッパの人々に向かって「中曽根前総理、竹下総理らが日本大国論をぶち上げてもピンとこないのはあたりまえのことである」。小コンサートは10時過ぎに終わり、ホテルのバーで、ブランデーを2〜3杯飲んでウイーンの第一日目は静かに終わったのであった。第二日目からいよいよウイーン国立歌劇場「Staatsoper」を毎日骨の髄まで堪能しようと思いつつ、夢の世界へ入ったのであった。

1988年4月28日 ウイーン ホテル「アストリア」にて

坂本 貴史

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