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箱根駅伝 その2

箱根駅伝は今度の正月で第72回を迎えるが今回は、第6回大会について、エピソードを少し記することにします。

大正14年(1925年)社会の状況を少し話しますと、治安維持法を衆議院が修正可決して、国民の思想の弾圧をしたり、中等学校以上の男子学校に、陸軍の現役将校を配属する法令を公布して、いよいよ、日本が軍国主義教育の道を歩み始めた時代であったのである。またスポーツでは、東京六大学野球リーグ戦がはじまった年でもあった。第6回大会は、第5回大会に再参加を中央大を加えた10校が出場し、大正14年(1925年)1月6日、7日の両日開催された。有名な鶴見中継所(1区)にトップでその勇姿をあらわしたのは、予想もされていなかったと言われる、東京農大の藤巻選手であった。そして2番手に法政大、水村選手、3番手に我、日本歯科医専、土屋選手が入ったのに対し、優勝の予想が高かった明治大は7位、早稲田大は10位という意外な展開となった。

しかし、次の2区では東農大は8位、法大が7位に転落したのに対して、中大、中川選手が好走して首位に立った。日大も8位から6位に進出したが、そのランナー前田選手はもともとお巡りさん(警察官)。駅伝が飯よりも好きになったばっかりに観衆の整理を放り出したため、警視庁を追われ、一念発起して、日大に入学、努力の末、第6回大会で区間最高記録をマークする快走をみせた異色中の異色の選手であった。三区に入って、中大のトップは変わらず、3位の日本歯科医専、4位の慶応大が残念にもそれぞれ7位、9位と順位を下げた。そのかわりに出場以来毎回ラストに泣いてきた日大が2位に躍進した。しかし、このランナーには資格に疑義があった。4位で小田原を出発した明大、八島選手は1時間45分34秒8の力走で同校を2位に上げた。一区ではラストであった早大は急追にづくまた急追でついに箱根では4位になったのである。

復路では、7区の中大の関谷選手がブレーキを起こして3位に後退したのにかわって、明大が首位の座をしめ、以後10区のゴール迄までトップで押し切り、ニ連勝(通算3回目)で優勝に輝いた。早大は5区から9区まで4位で来たが、10区の縄田選手は、ものすごい頑張りを見せて、ゴールでは何と2位となった。三区で日大を2位に躍進させた吉田正雄は、エントリーの時に書いた名前で、実際に走った人物は大山という車引きであったというエピソードが残っている。もう時効の話しだが、日大は責任をとって、次の第7回大会、大正15年には出場を辞退したのである。
この第6回大会において、有名な箱根駅伝の見せ場である山下り、つまり第6区を力走したのが、平塚歯科医師会物故会員であられる三宅喜多治先生なのである。結局、日本歯科医専(現日本歯科大学)は10校中8位に終わったのであった。その時三宅先生は7位の位置で箱根を力走しておられたのである。

次回第7回大会には、本会、前副会長、斎藤紀久雄先生のお父上が出場し、第四区(平塚〜小田原)を力走されている。

平成7年10月

坂本 貴史

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